2015年08月31日

仕事に役立つ祈り(信徒S)

祈ることは、クリスチャンにとって、非常に好ましいこと
の1つです。休み明けの憂鬱な月曜の朝など、通勤時に祈
ることは精神衛生上、非常に効果的です。(笑)祈りとは、
平たく言えば「神への願い」です。クリスチャンはキリス
トへの信仰(信頼)に基づいて祈ります。

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キリスト教にとって最も有名な祈りは「主の祈り」です。
弟子に聞かれて、イエスが教えた完全な祈りだとされてい
ます。欧米の映画でも祈りのシーンなどでよく耳にします。
以下はその全文です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みに会わせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。

アーメン。

主の祈りの中で、私が特に仕事に役立つと思う部分は次の
3点です。

@『我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。』

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働く者にとって、今日の仕事は今の暮らしや家庭を維持す
る上で欠かせない生活の糧です。祈ることで、多少、気が
乗らない朝でも、今日の仕事が与えられたこと(祈りが叶
ったこと)に感謝します。

A『我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。』

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人から嫌なこと(罪)を受けた時、「私は相手を赦します。
だから、私のミスや相手を傷つける行為があれば、どうか
私を赦して下さい。」と祈れば、少しは他人の行為に寛容
になれるのではないでしょうか。逆に、自分がミスや失敗
した時に、「私を赦して下さい。私も他人の失敗を赦しま
すから。」と願うなら、完璧でない自分や他人を受け入れ
ることが出来るのではないでしょうか。

イエスは「やられたら、やり返す」世界から、「赦すから、
赦される」世界があることを教えています。人を裁けば、
人からも裁かれる、だから、赦すことはあなたのために
なると勧めています。

B『我らを試(こころ)みに会わせず、
悪より救いだしたまえ。』

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クリスチャンは、仕事でも「試練に遭わせず、悪い状況
から救って下さい」と堂々と祈ります。ただし、一方で
人生では試練に遭うことは「自然」なことと捉えています。
聖書には、「あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」
(創世記3章17節)つまり一生苦しんで働くことが、自然
の定めとされています。それでもなお、神を頼って祈り
求める者の苦しみを、キリストは「理解するし、手助けす
るから、ぜひ祈りなさい」と勧めているように感じます。

このように主の祈りは、キリストが教えた神の理想を願う
ことで、様々な視点や意味(さらには与えられた恵み)を
人に気付かせてくれます。ストレスの多い今日、仕事の始
めと終わりに祈ることをお勧めします。

最後に、困難を受け止めて生きるニーバーの祈りを紹介し
ます。祈りにある「平静、勇気、知恵」は人生のあらゆる
困難への処世術と言えるのではないでしょうか。(信徒S)

God, grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference
       (Reinhold Niebuhr)

神よ、私にお与え下さい。
変えることの出来ない物事を受け入れる平静を。
変えることの出来る物事を変える勇気を。
そして、その違いを知る知恵を。
(ラインホルド・ニーバー)

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(クリックすると写真が大きくなります。)
posted by 信徒S at 00:05| 右斜め上仕事に役立つ祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月29日

有志によるバーベキューの集い

教会有志でバーベキューを行いました。当日の午前
中は雨でしたが、夕方には止んで、予定通り教会前
の敷地で18時からバーベキューが出来ました。

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(日が暮れて、楽しいバーベキューの始まりです。)

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(皆で美味しくいただきまーす

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(N親子の息の合ったバーベキュー奉行に感謝!)

教会に関係する参加者19名(高校生2名と子供3
名含む)がそれぞれ力を合わせて、楽しい一時を過
ごしました。準備や駆けつけて下さった方、楽しい
集いに本当に感謝です!

来月9/27は野外礼拝(外で礼拝、ぶどう狩り、
芋煮)も行われます。興味のある方は、どうぞ
ご参加下さい。詳しくは教会まで。
posted by 信徒S at 22:53| 教会行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月27日

ニーバーの祈り

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(クリックすると写真が大きくなります。)

God, grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference
       (Reinhold Niebuhr)

神よ、私にお与え下さい。
変えることの出来ない物事を受け入れる平静を。
変えることの出来る物事を変える勇気を。
そして、その違いを知る知恵を。
        (ラインホルド・ニーバー)

〜コメント〜
アメリカの神学者ニーバーの祈りは、様々な組織
で採用された、20世紀を代表する祈りの1つです。
当ブログ内に関連記事があります。こちらもどうぞ
お読み下さい。(信徒S)
posted by 信徒S at 22:11| 祈りと言葉のフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

祈りと言葉のフォトとは?

聖書のみことば以外にもさまざまな美しい
キリスト教の祈りや、味のある人生の言葉を
写真付きでタブレットでも眺めたい!という、
信徒Sの個人的ニーズから作成しました。

皆さんもオリジナルの言葉フォトを作って
みては如何ですか?…作り方は、こちら
をご覧下さい。(信徒S)


posted by 信徒S at 18:22| 祈りと言葉のフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

野の草でさえ、神はこのように装って下さる

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(クリックすると写真が大きくなります。)

マタイによる福音書 6章30節

〜コメント〜
神への深い信頼と、詩的な美しさとが溢れるイエスの
言葉。聖書箇所は、以前アップしたこちらを参照下さい。
(信徒S)
posted by 信徒S at 23:05| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

最も大いなるものは、愛

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(クリックすると写真が大きくなります。)

コリント人への第一の手紙 第13章1節〜13節

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、
もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢
と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義と
あらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い
信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、
自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、
いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨
みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべ
てを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、
異言はやみ、知識はすたれるであろう。

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言す
るところも一部分にすぎない。

全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼
な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、
おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見て
いる。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろ
う。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかし
その時には、わたしが完全に知られているように、完全に知
るであろう。

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、
この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

〜コメント〜
意見の違いや、働きの善し悪しも、そこに相手を思いやる
気持ち(愛)がなければ無に等しいと、鋭く教えられます。
(信徒S)
posted by 信徒S at 23:10| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

キリストを着る

※週報に掲載の説教要旨をブログ用に変換して紹介し
ています。聖書の引用は口語訳を使用しています。
(信徒S)

「キリストを着る」 伝道師 八重樫捷朗

ガラテヤの信徒への手紙3章21〜29節

「キリストに合うバプテスマ(洗礼)を受けたあなた
がたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ
人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女
もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって
一つだからである。」
(ガラテヤの信徒への手紙3章27〜28節)

キリストにあって、洗礼を受けてキリストを着ている
私たちは28節の恵みの宣言(キリスト・イエスにあっ
て一つ)を告白できるでしょうか。この宣言は初代教
会の洗礼式における伝承を基としています。パウロは
ギリシャ人、つまり当時の改宗した異邦人クリスチャ
ンもユダヤ人クリスチャンも同じであり、差別しては
ならないということを巡って、ガラテヤの信徒への手
紙を執筆しました。洗礼を受けてキリストを着ること
によって、私たちの世界でどうしても超えられないよ
うな線を超えて1つになることが出来るとパウロはい
います。

「キリスト・イエスにあって」と強調されているのは、
それが人間の努力や精神的な克服によってもたらされ
ないことだからです。教会においては、人種や階級、
国籍、性別は重要な事柄ではないのです。社会の中に
厳然としてある「支配―被支配」の関係が「キリスト
にあって」廃棄されるのです。

パウロはキリストを着ることについて、コリント人へ
の第二の手紙4章10節で次のように述べています。
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはま
た、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」
キリストを着るとはただキリストの考えに共鳴したり、
真似したりすることではなく、「キリストが私たちの
うちに全く実際的に、最高に現実的に、活動的に生き
て働いて下さること」(ルター)であり、「生きてい
るのは、もはや、わたしではない。キリストが、わた
しのうちに生きておられるのである」(ガラテヤの信
徒への手紙2章20節)で現されているパウロの生き様
に、私たちも招かれているということなのです。
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする