2016年06月28日

主のいつくしみは絶えることがなく

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哀歌・3章17節〜36節

わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。

そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、
わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。

どうか、わが悩みと苦しみ、
にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。

わが魂は絶えずこれを思って、
わがうちにうなだれる。

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。
それゆえ、わたしは望みをいだく。

主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。

これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、
それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

主がこれを負わせられるとき、
ひとりすわって黙しているがよい。

口をちりにつけよ、
あるいはなお望みがあるであろう。

おのれを撃つ者にほおを向け、
満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。

主はとこしえにこのような人を
捨てられないからである。

彼は悩みを与えられるが、
そのいつくしみが豊かなので、
またあわれみをたれられる。

彼は心から人の子を
苦しめ悩ますことをされないからである。

地のすべての捕われ人を足の下に踏みにじり、

いと高き者の前に人の公義をまげ、

人の訴えをくつがえすことは、
主のよみせられないことである。

〜コメント〜
哀歌では、人は讃美だけでなく、絶望をも神に
捧げ得るのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:04| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする