2016年12月26日

「キリストの変容」【ラファエロ・サンティ】1520年

Transfiguration_Raphael.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

ルネサンスの三大巨匠の一人、ラファエロの作品。
人々の衣装がとてもカラフルで、楽しいですね!

山上で姿が白く変わったイエスと、その両脇には
イスラエルの歴史上の偉人であるモーセとエリアが
現れている聖書の場面です。右下の方には霊にとり
つかれた少年の姿も見えます。

ルネサンスの人間の自由な精神や宗教改革により、
ヨーロッパの近代が始まったとされています。絵
画でも、イエスだけでなく一人一人が個性的に描
かれています。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書9章28節〜43節

これらのことを話された後、八日ほどたってから、
イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈る
ために山に登られた。

祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣が
まばゆいほどに白く輝いた。

すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。
それはモーセとエリヤであったが、

栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げよう
とする最後のことについて話していたのである。

ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、
目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立って
いるふたりの人とを見た。

このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、
ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、
イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいる
のは、すばらしいことです。それで、わたしたちは
小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、
一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

彼がこう言っている間に、雲がわき起って彼らを
おおいはじめた。そしてその雲に囲まれたとき、
彼らは恐れた。

すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、
わたしの選んだ者である。これに聞け」。

そして声が止んだとき、イエスがひとりだけに
なっておられた。弟子たちは沈黙を守って、自分
たちが見たことについては、そのころだれにも話
さなかった。

翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆が
イエスを出迎えた。

すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、
「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやって
ください。この子はわたしのひとりむすこですが、

霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。
それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、
彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。

それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださる
ように願いましたが、できませんでした」。

イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰
な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなた
がたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢が
できようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。

ところが、その子がイエスのところに来る時にも、
悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスは
この汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、
父親にお渡しになった。

人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。
posted by 信徒S at 00:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽しいキリスト教絵画とは?

西洋・東洋を問わず、宗教は芸術の大きなテーマです。
特に西洋絵画にはキリスト教を題材にした作品が数多
くあります。

画家の想像力によって描かれたキリスト教絵画(宗教
画)は、その背景である聖書の人物や場面が分かると
より親しみやすく、魅力や楽しさが増すことでしょう。

Saint_John.jpg
(この不敵なポーズ?の人物も後ほど紹介します!)

ここでは信徒Sが個人的に楽しいと感じるキリスト
教絵画を、いくつか紹介したいと思います。

※パブリックドメインとなった絵画の画像を載せて
います。パブリックドメイン画像は次のサイトより
検索・利用することが出来ます。
「Wikimedia Commons」
https://commons.wikimedia.org/ 
posted by 信徒S at 00:04| ・楽しいキリスト教絵画とは? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

2016年・クリスマスの礼拝と祝会の様子

会津若松教会にてクリスマスの礼拝とその後に祝会
が行われました。
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はるばる新潟から前任の山口牧師にお越し頂き、
説教と聖餐式を執り行って頂きました。感謝です

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礼拝後に恒例のクリスマスの祝会が行われました。
皆で食事を美味しく頂きました。奉仕して下さった
皆さん、本当に有難うございます。

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祝会と言えば、やっぱり恒例の余興で盛り上がり
ました!賜物を披露して下さった皆さん、グッド
ジョブ!

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婦人の皆さんによる讃美歌など、平和で楽しい
クリスマスでしたね。今年はちょうど25日が
日曜日でビンゴ?でしたが、例年、教会暦に合
わせてクリスマス礼拝を行うので、25日に当た
るのは珍しいのです。
posted by 信徒S at 16:54| 教会行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

まことの光を求めて【アマールと夜の訪問者】

「まことの光を求めて」 八重樫 捷朗 教師
クリスマス・キャンドル礼拝メッセージ

※説教要旨をブログ用に変換して紹介しています。
(信徒S)

最初に救い主の誕生を祝い拝みに来たのは、祭司長
たちでも聖書に詳しい律法学者たちでもなく、遠い
東の国の異邦人である占星術の学者たちでした。
学者たちは天上においてまばゆいばかりの光の星に、
ただならぬものを受けとめたに違いありません。彼
らはその知識と経験のすべてを傾けて、今までとは
違う新しい王が生まれるということを星の動きに読
みとりました。彼らは行く先を知らずして、新しい
真理に向かう道を一歩踏み出しました。

学者たちはまずユダヤの都エルサレムに向かい、
ヘロデの宮殿を訪れます。しかしエルサレムでは王
として生まれた幼子に出会うことはできませんでし
た。彼らの予測、判断、知恵、知識、努力などその
すべてはイエスとの出会いとして実りません。星に
導かれながらも人間的な、あまりにも地上における
価値判断に身をゆだねて道を辿ってきた彼らの挫折
が示されています。しかし不安と恐れ、戸惑いと
混迷、挫折の中で昔から伝えられてきた聖書の語り
かけが、行くべき所を新たに示し出しました。

聖書に従った学者たちが目にしたのは、飼い葉桶に
眠るイエスの姿、それはいかなる意味においても強
さ、力、権威というものとは縁のない姿をした「メ
シアの姿」でした。彼らはことごとく自分の思惑が
ひっくり返されるにもかかわらず「喜びにあふれて」
幼子を拝み、彼らの宝物(黄金・乳香・没薬)を捧
げます。そこに真の礼拝が生まれたのです。三人の
学者の捧げ物はもともと彼らの商売道具で、これま
で自分が大切にしてきた物、かけがえのない物を主
の前に差し出して生きるということです。

「アマールと夜の訪問者」というオペラをご存知で
しょうか。(ジャン=カルロ・メノッティ作曲)
このオペラはクリスマスの大切な捧げ物についての
物語です。救い主を求めて旅をする三人の学者が、
アマールという足の不自由な少年と母親が暮らす貧
しい家に一晩の宿を求めて訪れます。やがて三人の
学者が寝静まった頃、母親は貧しさから彼らが持つ
宝物(黄金)に手を伸ばし、見つかってしまいます。
宝物は学者たちが救い主へ捧げる大切な物でした。
それを聞いたアマールは自分も何か大切な物を救い
主へ捧げたいと、足代わりの杖を学者へ差し出した
時、アマールの足は癒されたという物語です。

ある神学者は、信仰というのは人間が自分自身の元
にいることをやめて、自分を中心とすることをやめ
て、自分の外にある中心に向かって生きること、す
なわち「自分自身から目をあげて生きること」だと
言いました。自分を捧げて主のために生きること、
自分中心の生き方と決別して、かけがえのない自分
を主の前に差し出して、救い主イエスを自分の人生
の拠点として新しく生きるということです。この世
で人として生き給うたイエスが、われわれの人生を
今も導いていることを信じて、新しくスタートした
いと思います。
posted by 信徒S at 17:00| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

神はわれらの避け所また力である

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(クリックすると写真が大きくなります。)

詩篇・第46篇 1節〜11節

神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。

一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。

主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

〜コメント〜
不安で心がいっぱいになる時があります。
詩人は自らの心に語り静めるように、詩を
詠んだのではないでしょうか。(信徒S)
posted by 信徒S at 22:53| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする