2017年01月22日

創立126周年記念礼拝

本日、会津若松教会創立126周年の記念礼拝を行
いました。1/22は奇しくも当教会の創立日です。
(例年、創立記念礼拝はその前後の日曜日に行い
ます)

この日、お越し頂いた若月 健悟先生は会津若松
ご出身で、当教会の第9代牧師です。現在は茨城
県守谷市で開拓伝道を行い、守谷教会を献堂し、
牧会されています。先生にはメッセージと聖餐式
を執り行って頂きました。

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毎年、創立記念礼拝では教会年表と教会の歴史を
伝える写真が礼拝堂に展示されます。

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礼拝後に和室にて愛餐会(食事会)を行いました。
恒例のカレーと、会津の特別な日に食される郷土
料理「こづゆ」が食卓に並びました。準備して下
さった皆さん、本当に感謝です。

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食後には世にも珍しい?み言葉入りの「きんつば」
を頂きました。(大判焼や今川焼とも呼ばれます)
会津美里町(高田地区)の名物で、文殊様近くの
お店で特別に作って頂きました。ご用意下さった
兄弟姉妹に、God bless you!

若月先生とお会いし、当時のことなど楽しくお聞
きすることが出来ました。遠くからはるばるお越
し頂き、ありがとうございます。守谷教会の歩み
も覚えてお祈り致します。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:10| 教会行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

新しい歌を主にむかってうたえ

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(クリックすると写真が大きくなります。)

詩篇・第96篇

新しい歌を主にむかってうたえ。
全地よ、主にむかってうたえ。

主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。
日ごとにその救を宣べ伝えよ。

もろもろの国の中にその栄光をあらわし、
もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。

主は大いなる神であって、いともほめたたうべきもの、
もろもろの神にまさって恐るべき者である。

もろもろの民のすべての神はむなしい。
しかし主はもろもろの天を造られた。

誉と、威厳とはそのみ前にあり、
力と、うるわしさとはその聖所にある。

もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、
栄光と力とを主に帰せよ。

そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。
供え物を携えてその大庭にきたれ。

聖なる装いをして主を拝め、
全地よ、そのみ前におののけ。

もろもろの国民の中に言え、
「主は王となられた。
世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。

天は喜び、地は楽しみ、
海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、

田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。
そのとき、林のもろもろの木も
主のみ前に喜び歌うであろう。

主は来られる、地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
まことをもってもろもろの民をさばかれる。

〜コメント〜
会津若松教会・主日礼拝「招詞」より(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年01月15日

「人はパンのみに生くるにあらず」

「人はパンのみに生くるにあらず」
マタイによる福音書4章1〜4節 八重樫 捷朗 教師

※説教要旨をブログ用に変換して紹介しています。
(信徒S)

主イエスは宣教を始める前に、私たちと同じよう
に大きな誘惑を経験しなければなりませんでした。
悪魔を3節で「誘惑する者」と言い換えられている
ように、悪魔は賢い助言者のように近づいて来て、
私たちを墜落させ、神から引き離そうとする力と
言えるでしょう。聖書はその人格的な力を悪魔と
呼んでいます。

イエスを試みた悪魔は、難しい議論を持ちかけた
のではなく、非常に現実的な問題を突き付けまし
た。断食して空腹を覚えたイエスに「神の子なら、
これらの石がパンになるように命じたらどうだ」
と働きかけ、それに主イエスは申命記8章3節から
の聖書の言葉で答えられました。「人はパンのみ
で生きるにあらず」有名な聖句です。それでは私
たちは何によって生きているのでしょうか。

荒野の40年(出エジプト記)を通して神様はマナ
という天からのパンを与えられ、「この40年の間、
あなたのまとう着物は古びず、足がはれることも
なかった」と聖書は語ります。「我が恵み汝に足
れり」ですが、現代を生きる私たちは溢れる物質
にその有り難さや感謝の気持ちを忘れがちです。
神が備えて下さった毎日のパンを、感謝の祈りを
もって食べているのでしょうか。神がお許しにな
らなければ、私たちは寿命を一日たりとも伸ばす
ことはできません。神様からパンを与えられるこ
とによって私たちは神を忘れるのではなく、むし
ろ神に立ち返っていくこと、すなわちパンと命を
約束する「神の口から出る1つ1つの言葉によって
生きる」という申命記の後半の言葉こそ主イエス
の御心なのです。

私たちはいろいろなものに取り囲まれています。
イエス・キリストの言葉から目を離さず、悪魔の
誘惑から逃れるためにも、神様の言葉に目を向け、
心を開いて生きていきましょう。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

「受胎告知」【エル・グレコ】1603年

El_GRECO.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

実にマンガチック?な画風ですね!スペインを代表
する画家、エル・グレコの作品は、手足や人物が引
き伸ばされたり、独自の色使いで現実よりも印象を
重視した表現が見られます。

天使ガブリエルが処女マリアに神の御子を身籠った
ことを告げる有名な場面です。天使が手に持ってい
る百合は純潔を表しており、中央の鳩は、天からの
聖霊のようです。

有名な西洋絵画の多くは海外にありますが、これは
何と岡山県の大原美術館に展示されているようです!
一度行って見たいですね。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書1章26節〜38節

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされ
て、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人の
いいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女
よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい
さつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あな
たは神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。
その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえ
られるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデ
の王座をお与えになり、

彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限
りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな
事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありま
せんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと
高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、
生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえ
られるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿してい
ます。不妊の女といわれていたのに、はや六か月に
なっています。

神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしため
です。お言葉どおりこの身に成りますように」。
そして御使は彼女から離れて行った。

〜コメント〜
運命を受け入れ、神に従って生きること(信仰)を
告白したマリアに、敬虔さを見ることが出来ます。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 11:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする