2017年02月16日

ひとりでも悔い改めるなら

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ルカによる福音書・第15章1〜10節

さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こう
として近寄ってきた。

するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、
「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」
と言った。

そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者が
いたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹
を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけ
るまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、

家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたし
と一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけ
ましたから』と言うであろう。

よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとり
でも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九
人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、
天にあるであろう。

また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその
一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて
家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さ
ないであろうか。

そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを
呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。な
くした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。

よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとり
でも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこび
があるであろう」。

〜コメント〜
他の人のことではなく、自分自身の問題として、
イエスは語りかけているのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年02月10日

これも洗礼?【4コマ漫画】

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〜コメント〜
洗礼は大きな一歩ですが、それはゴールでは
なく、新たなスタートだと言われます。信じ
る喜びを感じたなら、人は新たな一歩を始め
る時かと思います。(信徒S)

※CS(教会学校または日曜学校)では、子
ども向け礼拝(お話や説教、讃美歌)を牧師
や信徒が教師となって行います。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:58| キリスト教?4コマ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

「悔悛するマグダラのマリア」【ドメニコ・ティントレット】1602年

Penitent_Magdalene.jpg
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この艶めかしい女性を描いた絵も、実は宗教画
なんです!彼女はイエスに7つの悪霊を追い出
され(ルカ8:2)、改心したマグダラのマリア
です。その後、イエスの弟子となり、イエスが
十字架につけられた時も、墓に収められた時も、
側を離れることはありませんでした。

イエスの母マリアが気高く神々しい姿で描かれ
るのに対し、元・悪女?なマグダラのマリアは
人間的な魅力に溢れています。罪赦され、神と
共に生きる喜び、生を肯定する意志さえ感じさ
せます。

マグダラのマリアの側にドクロがありますが、
イエスが十字架につけられた場所は「ゴルゴタ
の丘」と呼ばれており、ゴルゴタは「ドクロ」
の意味です。イエスを最後まで見届けたマグダ
ラのマリアを示すシンボルとして一緒に描かれ
ることが多いです。

……もしもイエスが磔にされたのがゴルゴタの
丘ではなく、例えば「ミカンの花咲く」丘なら、
もっと可愛らしいシンボルだったかもしれませ
んね!(信徒S)

※ドメニコ・ティントレット(1560-1635)
ルネサンス期・イタリアで活躍した画家。父
ティントレットは巨匠と呼ばれています。

(参考)
ヨハネによる福音書・第20章1〜18節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、
マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとり
のけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛して
おられた、もうひとりの弟子のところへ行って、
彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去り
ました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓
へむかって行った。

ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの
弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着
き、

そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置い
てあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。
彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばには
なくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはい
ってきて、これを見て信じた。

しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえ
るべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなか
った。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って
行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そ
して泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のお
かれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは
足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いてい
るのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だ
れかが、わたしの主を取り去りました。そして、
どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエス
が立っておられるのを見た。しかし、それがイエ
スであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いている
のか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その
人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、
あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、
どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかた
を引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤ
はふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラ
ボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわっては
いけない。わたしは、まだ父のみもとに上ってい
ないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行
って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの
父であって、わたしの神またあなたがたの神であ
られるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝
えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、
自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれの
ことを自分に仰せになったことを、報告した。

〜コメント〜
聖書には多くのマリアが登場しますが、一途に
主イエスを愛した彼女もまた、聖女なのです。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:12| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする