2017年02月03日

「悔悛するマグダラのマリア」【ドメニコ・ティントレット】1602年

Penitent_Magdalene.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

この艶めかしい女性を描いた絵も、実は宗教画
なんです!彼女はイエスに7つの悪霊を追い出
され(ルカ8:2)、改心したマグダラのマリア
です。その後、イエスの弟子となり、イエスが
十字架につけられた時も、墓に収められた時も、
側を離れることはありませんでした。

イエスの母マリアが気高く神々しい姿で描かれ
るのに対し、元・悪女?なマグダラのマリアは
人間的な魅力に溢れています。罪赦され、神と
共に生きる喜び、生を肯定する意志さえ感じさ
せます。

マグダラのマリアの側にドクロがありますが、
イエスが十字架につけられた場所は「ゴルゴタ
の丘」と呼ばれており、ゴルゴタは「ドクロ」
の意味です。イエスを最後まで見届けたマグダ
ラのマリアを示すシンボルとして一緒に描かれ
ることが多いです。

……もしもイエスが磔にされたのがゴルゴタの
丘ではなく、例えば「ミカンの花咲く」丘なら、
もっと可愛らしいシンボルだったかもしれませ
んね!(信徒S)

※ドメニコ・ティントレット(1560-1635)
ルネサンス期・イタリアで活躍した画家。父
ティントレットは巨匠と呼ばれています。

(参考)
ヨハネによる福音書・第20章1〜18節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、
マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとり
のけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛して
おられた、もうひとりの弟子のところへ行って、
彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去り
ました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓
へむかって行った。

ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの
弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着
き、

そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置い
てあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。
彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばには
なくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはい
ってきて、これを見て信じた。

しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえ
るべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなか
った。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って
行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そ
して泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のお
かれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは
足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いてい
るのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だ
れかが、わたしの主を取り去りました。そして、
どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエス
が立っておられるのを見た。しかし、それがイエ
スであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いている
のか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その
人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、
あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、
どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかた
を引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤ
はふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラ
ボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわっては
いけない。わたしは、まだ父のみもとに上ってい
ないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行
って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの
父であって、わたしの神またあなたがたの神であ
られるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝
えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、
自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれの
ことを自分に仰せになったことを、報告した。

〜コメント〜
聖書には多くのマリアが登場しますが、一途に
主イエスを愛した彼女もまた、聖女なのです。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:12| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする