2017年06月19日

NEWこの小さい者のひとりに

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マタイによる福音書・10章40〜42節

あなたがたを受けいれる者は、わたしを受け
いれるのである。わたしを受けいれる者は、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれ
るのである。

預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、
預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人
を受けいれる者は、義人の報いを受けるで
あろう。

わたしの弟子であるという名のゆえに、この
小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませ
てくれる者は、よく言っておくが、決して
その報いからもれることはない」。

〜コメント〜
マタイ10章は、神に仕える使徒たちへ語った
重要な個所ですが、小さな働きでも愛の為に
行うなら、神はそれを決して忘れないのです。
(信徒S)
posted by 信徒S at 23:14| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

NEW『道は開ける』キリスト教信仰について(信徒S)

人は誰でも成長すれば自分で生きる道を探し、
生きて行かなければなりません。これは容易
なことではありません。

高校時代、色々と思い悩んでいました。その
ことを思い切って国語科の教師に相談すると、
ある1冊の本を勧められます。『道は開ける』
(デール・カーネギー著)という問題解決の
方法を実際の事例で紹介した本でした。

今でも大きな書店に行けば置いてある有名な
本ですが、当時、何度読んでも分からない点
がありました。それはキリスト教の信仰が悩
める人の心に落ち着きを与え、生きる勇気や
希望を与えるという箇所でした。

著者の住むアメリカ(プロテスタント国)で
は、多くの人が小さい頃から教会に通い信仰
を経験しているでしょうが、私のように特定
の宗教を信じることなく育ち、神社やお寺に
お参りすることや、おみくじを引く位しか知
らない者には、全く想像すら出来ない未知の
領域でした。

それまで信仰とは、運が良ければ良いことが
起こる(いわゆる棚ボタ)式の、利益を願う
こと位にしか思ってませんでしたから、困難
の中で人の心を支える力になるという、キリ
スト教の信仰に興味を持ちました。

キリスト教信仰については多くの人が語って
いますが、信仰とは「神への信頼感」ではな
いでしょうか。聖書には驚く程、人間が災難
に遭う記述が見られます。この世の悪の存在
をリアルに描いているのです。どんなに正し
い人、心優しい人でも災難に見舞われてしま
います。

この危険に満ちた世界で、良いことがあれば
信じる、なければ信じないではなく、たとえ
目に見えて良いことがないと思えても、なお
人を良い方へ導こうとする力、救い主として
生まれたイエス・キリストを求め、信頼して
歩むのがキリスト教信仰かと思うのです。
(信徒S)

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2017年06月10日

NEW「出現」【ギュスターヴ・モロー】1876年

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衝撃的な宗教画ですね!これはイエスから
「最も偉大な人物」と称された洗礼者ヨハネ
の最期を独自の解釈で描いた作品です。聖書
では、少女へ踊りの褒美として、はねられた
首が盆にのせて運ばれて来たといいます。

預言者や神に仕える正しい人が殺されてしま
うことは聖書でよくある話!ですが、褒美と
しての殺害は異例です。この衝撃の展開は多
くの芸術家を魅了し、絵画や文学で描かれて
来ました。

フランス象徴主義の画家・モローの作品には、
切られたヨハネの首が宙に現れ出る!という
驚愕の光景に対して、少女が真っすぐに対峙
しています。ヨハネと少女は一体何を考えて
いるのでしょうか。……観る者の想像をかき
たてる面白さがあります。また、聖書の記述
から自由になり、大胆な解釈で描かれた近代
的な作品とも言えます。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 6章14〜29節

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王
の耳にはいった。ある人々は「バプテスマの
ヨハネが、死人の中からよみがえってきたの
だ。それで、あのような力が彼のうちに働い
ているのだ」と言い、

他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他
の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と
言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたし
が首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」
と言った。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデ
ヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、
ヨハネを捕えて獄につないだ。

それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめ
とるのは、よろしくない」と言ったからであ
る。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そ
うと思っていたが、できないでいた。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人
であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を
加え、またその教を聞いて非常に悩みながら
も、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の
誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立
った人たちを招いて宴会を催したが、

そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞
をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ば
せた。そこで王はこの少女に「ほしいものは
なんでも言いなさい。あなたにあげるから」
と言い、

さらに「ほしければ、この国の半分でもあげ
よう」と誓って言った。

そこで少女は座をはずして、母に「何をお願
いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテ
スマのヨハネの首を」と答えた。

するとすぐ、少女は急いで王のところに行っ
て願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネ
の首を盆にのせて、それをいただきとうござ
います」。

王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、
また列座の人たちの手前、少女の願いを退け
ることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネ
の首を持って来るように命じた。衛兵は出て
行き、獄中でヨハネの首を切り、

盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそ
れを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死
体を引き取りにきて、墓に納めた。
posted by 信徒S at 22:31| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする