2019年01月23日

あなたの名のために祈るならば【ソロモン王の祈り】

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あなたの名のために遠い国から来る異邦人が、
もしきて、この宮に向かって祈るならば、
あなたは、あなたのすみかである天で聞き、
すべて異邦人があなたに呼び求めることを
かなえさせてください。

『列王紀上8章41〜43節より』

〜コメント〜
ソロモン王は、民の長年の悲願であった
神殿(祈りの家)を建てた時に、異邦人
であっても求める者に恵みがあることを
祈っています。教会は今でもそれを受け
継いでいるのです。(信徒S)

(参考)
列王紀上8章22〜53節

ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、
主の祭壇の前に立ち、手を天に伸べて、

言った、「イスラエルの神、主よ、上の
天にも、下の地にも、あなたのような神は
ありません。あなたは契約を守られ、心を
つくしてあなたの前に歩むあなたのしもべ
らに、いつくしみを施し、

あなたのしもべであるわたしの父ダビデに
約束されたことを守られました。あなたが
口をもって約束されたことを、手をもって
なし遂げられたことは、今日見るとおりで
あります。

それゆえ、イスラエルの神、主よ、あなた
のしもべであるわたしの父ダビデに、あな
たが約束して『おまえがわたしの前に歩ん
だように、おまえの子孫が、その道を慎ん
で、わたしの前に歩むならば、おまえには
イスラエルの位に座する人が、わたしの前
に欠けることはないであろう』と言われた
ことを、ダビデのために守ってください。

イスラエルの神よ、どうぞ、あなたの
しもべであるわたしの父ダビデに言われた
言葉を確認してください。

しかし神は、はたして地上に住まわれる
でしょうか。見よ、天も、いと高き天も
あなたをいれることはできません。まして
わたしの建てたこの宮はなおさらです。

しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを
顧みて、しもべがきょう、あなたの前に
ささげる叫びと祈をお聞きください。

あなたが『わたしの名をそこに置く』と言
われた所、すなわち、この宮に向かって夜
昼あなたの目をお開きください。しもべが
この所に向かって祈る祈をお聞きください。

しもべと、あなたの民イスラエルがこの所
に向かって祈る時に、その願いをお聞き
ください。あなたのすみかである天で聞き、
聞いておゆるしください。

もし人がその隣り人に対して罪を犯し、
誓いをすることを求められる時、来てこの
宮であなたの祭壇の前に誓うならば、

あなたは天で聞いて行い、あなたのしもべ
らをさばき、悪人を罰して、そのおこない
の報いをそのこうべに帰し、義人を義と
して、その義にしたがって、その人に報い
てください。

もしあなたの民イスラエルが、あなたに対
して罪を犯したために敵の前に敗れた時、
あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、
この宮であなたに祈り願うならば、

あなたは天にあって聞き、あなたの民
イスラエルの罪をゆるして、あなたが彼ら
の先祖に賜わった地に彼らを帰らせてくだ
さい。

もし彼らがあなたに罪を犯したために、
天が閉ざされて雨がなく、あなたが彼らを
苦しめられる時、彼らがこの所に向かって
祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れ
るならば、

あなたは天で聞き、あなたのしもべ、
あなたの民イスラエルの罪をゆるし、彼ら
に歩むべき良い道を教えて、あなたが、
あなたの民に嗣業として与えられた地に
雨を降らせてください。

もし国にききんがあるか、もしくは疫病、
立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、
もしくは敵のために町の中に攻め囲まれる
ことがあるか、どんな災害、どんな病気が
あっても、

もし、だれでも、あなたの民イスラエルが
みな、おのおのその心の悩みを知って、
この宮に向かい、手を伸べるならば、
どんな祈、どんな願いでも、

あなたは、あなたのすみかである天で聞いて
ゆるし、かつ行い、おのおのの人に、その心
を知っておられるゆえ、そのすべての道にし
たがって報いてください。ただ、あなただけ、
すべての人の心を知っておられるからです。

あなたが、われわれの先祖に賜わった地に、
彼らの生きながらえる日の間、常にあなた
を恐れさせてください。

またあなたの民イスラエルの者でなく、
あなたの名のために遠い国から来る異邦人が、

――それは彼らがあなたの大いなる名と、
強い手と、伸べた腕とについて聞き及ぶから
です、――もしきて、この宮に向かって祈る
ならば、

あなたは、あなたのすみかである天で聞き、
すべて異邦人があなたに呼び求めることを
かなえさせてください。そうすれば、地の
すべての民は、あなたの民イスラエルの
ように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、
またわたしが建てたこの宮があなたの名に
よって呼ばれることを知るにいたるでしょう。

あなたの民が敵と戦うために、あなたが
つかわされる道を通って出て行くとき、
もし彼らがあなたの選ばれた町、わたしが
あなたの名のために建てた宮の方に向かって、
主に祈るならば、

あなたは天で、彼らの祈と願いを聞いて彼ら
をお助けください。

彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、
――人は罪を犯さない者はないのです、――
あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、
敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、
敵の地に引いて行く時、

もし彼らが捕われていった地で、みずから省
みて悔い、自分を捕えていった者の地で、
あなたに願い、『われわれは罪を犯しました、
そむいて悪を行いました』と言い、

自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、
精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが
彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれ
た町、わたしがあなたの名のために建てた宮
の方に向かって、あなたに祈るならば、

あなたのすみかである天で、彼らの祈と願い
を聞いて、彼らを助け、

あなたの民が、あなたに対して犯した罪と、
あなたに対して行ったすべてのあやまちを
ゆるし、彼らを捕えていった者の前で、
彼らにあわれみを得させ、その人々が彼ら
をあわれむようにしてください。

(彼らはあなたがエジプトから、鉄の
かまどの中から導き出されたあなたの民、
あなたの嗣業であるからです)。

どうぞ、しもべの願いと、あなたの民
イスラエルの願いに、あなたの目を開き、
すべてあなたに呼び求める時、彼らの願い
をお聞きください。

あなたは彼らを地のすべての民のうちから
区別して、あなたの嗣業とされたからです。
主なる神よ、あなたがわれわれの先祖を
エジプトから導き出された時、モーセに
よって言われたとおりです」
ラベル:会津若松教会
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2019年01月20日

創立128年記念礼拝&祝会

会津若松教会・創立128年の記念礼拝が
行われました。当教会の第11代牧師で
ある安部 勉先生にお越し頂き、説教
奉仕頂きました。西日本から奥様と一
緒に冬の会津へ来て下さり感謝です。

礼拝の後、一階の和室へ移動して記念
の祝会(食事会)を行いました。創立
記念の食事がカレーになった謂れを聞
きつつ安部先生ご夫妻と楽しい一時を
共に過ごしました。食事の準備や奉仕
下さった皆さん、本当に有難うござい
ます。

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ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:02| 教会行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「さあ、ここから始めよう」

「さあ、ここから始めよう」
ルカによる福音書24章28〜35節
安部 勉 教師(会津若松教会・第11代牧師)

※説教要旨をブログ用に変換して紹介しています。
(信徒S)

本日の聖書は弟子たちの歩みを通して、それまで
の「人生の歩み」を思い起こすように示されてい
ます。彼らは復活のイエスを前に自らの歩みを思
い起こし振り返ります。しかし、そこで語られて
いる言葉はイエスへの期待、そして失望でした。
彼らは「いったい自分たちの今までの人生とは何
だったのだろう」との思いの中にいたでしょう。
でも、その彼らから「言葉」を引き出したのは誰
だったでしょう。

エマオでのやり取りは弟子たちに復活のイエスが
彼らの人生を振り返るよう誘ったとも言えるでし
ょう。でもイエスに問われた彼らはまだ「自分た
ちの歩み」に意味を見出すことはできなかったの
です。落胆と失望の中にありました。なお、共に
イエスと食する中で思い起こしていったのです。
イエスと共に過ごした日々、喜びばかりでなく、
悲しみや辛さも。でも、彼らを導きリードし、
パンと盃を差し出す方との出会いに彼らは「今を
生きる」ことの喜びに出会ったことでしょう。
イエスが蘇り、共に歩み、永遠のいのちへと誘っ
てくださるとの確信を。

今日、18年ぶりに皆さんと共に過ごした日々を
思い起こす中に、皆さんとの出会いこそが備えら
れた道であったとの確信、一つ一つの出来事が
「今」のために備えられたことを私たちはイエス
の言葉と共に、そして共に分かち合う聖餐の中に
見出すよう導かれているのです。今までの歩んだ
道を思い起こすこと、それは「さあ、ここから始
めよう」と未来へと誘うこと。私たちは今を生き
る者として、そして未来にバトンを引き継ぐもの
として、先達の歩み、自分たちの歩みを重ねる中
にいつも共にいてくださったイエスを思い起こし
たいと願います。創立記念、今日は新たな節目の
日として。そしてこれからの歩みが始まります。
主が繰り返し「共にいる」との呼びかけのうちに、
主の祝福のうちにあると信じます。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

「聖マタイの召命」【ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ】1600年

The_Calling_of_Saint_Matthew.jpg
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この絵画は、取税人だったマタイに向かって、
弟子となるよう、イエスが声をかけた場面を
描いています。

一番右端の頭上に光の環がある人物がイエス
です。光と闇のコントラストの中で、指指す
ポーズがドラマチックですね!精悍な顔立ち
のイエス、イケメンすぎでしょ

この絵画では、誰がマタイなのか、長い間、
議論されていますが、一番左端でお金を数え
ている青年が取税人・マタイではないかとも
言われています。

……イエスの呼びかけを聞いた瞬間、青年は
雷に打たれた様な衝撃を受け、そのまま立ち
上がると、後ろを振り返ることなく、イエス
の後に従い、風のように去って行く……そん
な場面が妄想?出来ますね!(信徒S)


(参考)
マタイによる福音書・9章9〜13節

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイ
という人が収税所にすわっているのを見て、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。
すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから、イエスが家で食事の席について
おられた時のことである。多くの取税人や
罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共に
その席に着いていた。

パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに
言った、「なぜ、あなたがたの先生は、
取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な
人には医者はいらない。いるのは病人である。

『わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない』とはどういう意味か、
学んできなさい。わたしがきたのは、義人を
招くためではなく、罪人を招くためである」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:28| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

ここにわたしがおります

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イザヤ書・第6章1〜8節

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげ
られたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼
をもっていた。その二つをもって顔をおおい、
二つをもって足をおおい、二つをもって飛び
かけり、

互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基
が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れた
くちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に
住む者であるのに、わたしの目が万軍の主な
る王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、

わたしの口に触れて言った、「見よ、これが
あなたのくちびるに触れたので、あなたの悪
は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれ
われのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしが
おります。わたしをおつかわしください」。

〜コメント〜
力強い預言者のイメージがあるイザヤも、
神から赦されて、初めて自分が生きる意味
(使命)を見出します。私たちも今の時代
に遣わされていると思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 17:03| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする