2019年06月23日

福山 裕紀子牧師の就任式が行われました

6/23(日)福山 裕紀子牧師の会津若松教会就任式
が行われました。当日は遠くは関西からもお越し
下さり、感謝です

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当教会から招聘の話を受ける前、福山先生は隠れ
キリシタンの仏像を見るため、一度だけ会津に来
たことがあったそうです。その時は「もう二度と
会津に来ることはないかも」と思ったそうです。

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(就任のお祝いメッセージが沢山寄せられました)

人生、何が起こるか分からないものですね

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(小西 望牧師より、誓約と勧告)

神様の働きと導きが豊かにあり、日々、守られて
各自が歩まれますよう、お祈りします。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年06月10日

「キリストの降架」【ルーベンス】1614年〜〈フランダースの犬〉でネロが最後に見たかった絵〜

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(クリックすると画像が大きくなります。)

「フランダースの犬」はイギリスの作家ウィーダが
書いた児童文学ですが、世界名作劇場でアニメ化さ
れ、悲しいラストが有名になりましたね。(個人的
には、主人公ネロの継ぎ当てズボンに泣けます
さて、そんな悲劇の主人公ネロが最後に見たかった
絵画がピーテル・パウル・ルーベンスが描いた、
「キリストの降架」です。赤い服を着た人物は最も
イエスが愛した弟子ヨハネ、その周りにイエスを愛
した複数のマリアがいます。

十字架上で息絶えて降ろされる悲しい場面ですが、
画家を目指していたネロは、きっとこの絵画を美術
的観点から見て、その完成度の高さに深く満足した
のではないでしょうか。美術だけでなく、映画など
幅広いジャンルで意外にキリスト教のテーマや思想
を見ることが出来ます。(信徒S)

(参考)
ヨハネによる福音書19章25〜40節

さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、
母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラの
マリヤとが、たたずんでいた。

イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っている
のをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、
ごらんなさい。これはあなたの子です」。

それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。
これはあなたの母です」。そのとき以来、
この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

そののち、イエスは今や万事が終ったことを
知って、「わたしは、かわく」と言われた。
それは、聖書が全うされるためであった。

そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器
がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を
含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、
イエスの口もとにさし出した。

すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、
「すべてが終った」と言われ、首をたれて息を
ひきとられた。

さてユダヤ人たちは、その日が準備の日で
あったので、安息日に死体を十字架の上に残し
ておくまいと、(特にその安息日は大事な日で
あったから)、ピラトに願って、足を折った上
で、死体を取りおろすことにした。

そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架に
つけられた初めの者と、もうひとりの者との足
を折った。

しかし、彼らがイエスのところにきた時、
イエスはもう死んでおられたのを見て、その足
を折ることはしなかった。

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突き
さすと、すぐ血と水とが流れ出た。

それを見た者があかしをした。そして、その
あかしは真実である。その人は、自分が真実を
語っていることを知っている。それは、あなた
がたも信ずるようになるためである。

これらのことが起ったのは、「その骨はくだ
かれないであろう」との聖書の言葉が、成就
するためである。

また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺
し通した者を見るであろう」とある。

そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかに
イエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという
人が、イエスの死体を取りおろしたいと、
ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、
彼はイエスの死体を取りおろしに行った。

また、前に、夜、イエスのみもとに行った
ニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤
ほど持ってきた。

彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人
の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布
で巻いた。
ラベル:会津若松教会
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2019年06月01日

人は外の顔かたちを見、主は心を見る

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(クリックすると写真が大きくなります)

サムエル記上16章6〜13節

彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、
「自分の前にいるこの人こそ、主が油を
そそがれる人だ」と思った。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたち
や身のたけを見てはならない。わたしはすで
にその人を捨てた。わたしが見るところは人
とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心
を見る」。

そこでエッサイはアビナダブを呼んで
サムエルの前を通らせた。サムエルは言った、
「主が選ばれたのはこの人でもない」。

エッサイはシャンマを通らせたが、
サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの
人でもない」。

エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせ
たが、サムエルはエッサイに言った、「主が
選ばれたのはこの人たちではない」。

サムエルはエッサイに言った、「あなたの
むすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、
「まだ末の子が残っていますが羊を飼って
います」。サムエルはエッサイに言った、
「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここ
に来るまで、われわれは食卓につきません」。

そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色の
よい、目のきれいな、姿の美しい人であった。
主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。
これがその人である」。

サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの
中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、
主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。
そしてサムエルは立ってラマへ行った。

〜コメント〜
預言者サムエルが神に命じられて、新しい
イスラエルの王(メシア)を見つける箇所
です。…人の目に見えない心を神は見て
いるのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:26| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする