2015年06月21日

悲しみが喜びに変わる

※週報に掲載の説教要旨をブログ用に変換して紹介し
ています。説教について詳しくお知りになりたい方は、
ぜひ教会へお越し下さい。(信徒S)

「悲しみが喜びに変わる」 伝道師 八重樫捷朗

ヨハネによる福音書16章16節〜24節

「しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なく
なる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会える
であろう」(16節)この最初の「しばらく」の後は、
イエス・キリストの受難、十字架の死を指していると
思いますが、その次の「またしばらく」については、
「喜びに変わる」時、キリストの「復活」や「聖霊降
臨」を指していると読むことも出来るでしょう。

「このように、あなたがたにも今は不安がある。しか
し、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、
あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜
びをあなたがたから取り去る者はいない。」(22節)
現代の私たちにしてみれば、今もイエス・キリストは
見える形ではおられません。ですが、神は目に見えな
い形で臨在して下さっています。(目に見えない)聖
霊によって、人は何でも自由に祈れるようになります。
あたかも子供が親と話すように自由に神と語り、その
手応えを実感するようになるのです。

仲保者であるイエスを通して、父なる神は人間に語り
かけ、人間も神に祈り得るという新しい道が開かれま
した。すなわち、神が呼びかけ人が応じる世界が開け、
インマヌエル(神ともにいます)の喜びに至りました。
これは初代の弟子たちのみに告げられた恵みではなく、
時を超えて現代の私たちに語られた恵みです。

信仰をもっている人間こそ、生きることについて深い
絶望を知っています。悲しみと絶望を知りつつ、それ
でもなお力強く大胆に生きることが出来るのです。悲
しみ苦しみの只中に、主のみ言葉が飛び込み、主イエ
スの存在が入り込んで来るからです。

「このように、あなたがたにも今は不安がある。しか
し、わたしは再びあなたがたと会うであろう。」
(22節)という言葉は、山上の説教でイエスが語ら
れたことに連なります。すなわち「悲しんでいる人た
ちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」
(マタイ5章4節)とイエスが教えられたように、悲
しみは慰められ喜びに至るのです。現代に生きる私た
ちも様々な悲しみを経験しますが、信仰をもって対処
すれば、神はその悲しみのはてに喜びを備えて下さい
ます。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする