2015年10月25日

主に信頼して

※週報に掲載の説教要旨をブログ用に変換して紹介
しています。聖書の引用は口語訳を使用しています。
(信徒S)

「主に信頼して」 伝道師 八重樫捷朗

ヨハネによる福音書20章24〜29節

教会歴で降誕節前第9主日にはいり、創世記1章
1〜3節を招詞として読みました。

「はじめに神は天と地とを創造された」という聖
書の最初の言葉は、鎖国の日本を脱出してアメリ
カに学びつつあった新島襄の心を捉え彼の生涯を
変えたと伝えられています。

それまでの日本人はこのような神についての考え
方を知りませんでした。クリスマスに向けて旧約
聖書から創造と堕落、神の選びと約束をたどって
いく旅は、私たちの救いの根底を見出し、確かな
ものにする期間です。天地創造における祝福が最
も具体的に示されたのがイエス・キリストであり、
そのことを覚えて私たちは礼拝において使徒信条
を唱えます。

本日の聖書の箇所は、イエス・キリストが神の独
り子であり、地上の生涯を終えられてから復活さ
れた方であることを、弟子であるトマスが疑った
箇所です。「わたしは、その手に釘あとを見、わ
たしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたし
の手をそのわきにさし入れてみなければ、決して
信じない」(25節)

そう言っていたトマスの前に復活のイエス・キリ
ストが現れたのです。12弟子の一人であるトマ
スは、しばしば懐疑主義者と呼ばれます。懐疑と
信仰との岐路に立っているトマスに対して、イエ
スは「信じない者にならないで、信じる者になり
なさい」(27節)と言われ、ご自身の復活の体
をトマスに見せ、積極的な決断を促されました。
このイエス・キリストの愛の大きさに触れた時に、
彼は「わが主よ、わが神よ」(28節)という信
仰告白に導かれました。

このトマスは、イエス・キリストを知らない後の
信徒たちの象徴であると言われます。神は迷って
いるような私たちに対しても「見ないで信ずる者
は、さいわいである」(29節)と声をかけてい
るのです。
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする