2017年01月15日

「人はパンのみに生くるにあらず」

「人はパンのみに生くるにあらず」
マタイによる福音書4章1〜4節 八重樫 捷朗 教師

※説教要旨をブログ用に変換して紹介しています。
(信徒S)

主イエスは宣教を始める前に、私たちと同じよう
に大きな誘惑を経験しなければなりませんでした。
悪魔を3節で「誘惑する者」と言い換えられている
ように、悪魔は賢い助言者のように近づいて来て、
私たちを墜落させ、神から引き離そうとする力と
言えるでしょう。聖書はその人格的な力を悪魔と
呼んでいます。

イエスを試みた悪魔は、難しい議論を持ちかけた
のではなく、非常に現実的な問題を突き付けまし
た。断食して空腹を覚えたイエスに「神の子なら、
これらの石がパンになるように命じたらどうだ」
と働きかけ、それに主イエスは申命記8章3節から
の聖書の言葉で答えられました。「人はパンのみ
で生きるにあらず」有名な聖句です。それでは私
たちは何によって生きているのでしょうか。

荒野の40年(出エジプト記)を通して神様はマナ
という天からのパンを与えられ、「この40年の間、
あなたのまとう着物は古びず、足がはれることも
なかった」と聖書は語ります。「我が恵み汝に足
れり」ですが、現代を生きる私たちは溢れる物質
にその有り難さや感謝の気持ちを忘れがちです。
神が備えて下さった毎日のパンを、感謝の祈りを
もって食べているのでしょうか。神がお許しにな
らなければ、私たちは寿命を一日たりとも伸ばす
ことはできません。神様からパンを与えられるこ
とによって私たちは神を忘れるのではなく、むし
ろ神に立ち返っていくこと、すなわちパンと命を
約束する「神の口から出る1つ1つの言葉によって
生きる」という申命記の後半の言葉こそ主イエス
の御心なのです。

私たちはいろいろなものに取り囲まれています。
イエス・キリストの言葉から目を離さず、悪魔の
誘惑から逃れるためにも、神様の言葉に目を向け、
心を開いて生きていきましょう。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする