2018年11月23日

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である

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ヨハネによる福音書・第15章1〜17節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は
農夫である。

わたしにつながっている枝で実を結ばない
ものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を
結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって
既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、
わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝
である。もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。わたし
から離れては、あなたがたは何一つできない
からである。

人がわたしにつながっていないならば、枝の
ように外に投げすてられて枯れる。人々は
それをかき集め、火に投げ入れて、焼いて
しまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたにとどまっている
ならば、なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたし
の弟子となるならば、それによって、わたし
の父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなた
がたを愛したのである。わたしの愛のうちに
いなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなた
がたはわたしの愛のうちにおるのである。
それはわたしがわたしの父のいましめを守った
ので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたし
の喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるため
である。

わたしのいましめは、これである。わたしが
あなたがたを愛したように、あなたがたも互
に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うなら
ば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人のしていることを知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父
から聞いたことを皆、あなたがたに知らせた
からである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである。そして、
あなたがたを立てた。それは、あなたがたが
行って実をむすび、その実がいつまでも残る
ためであり、また、あなたがたがわたしの名に
よって父に求めるものはなんでも、父が与えて
下さるためである。

これらのことを命じるのは、あなたがたが互に
愛し合うためである。

〜コメント〜
聖書や信仰について、分からないことは、
正直よくあることです。ですが大切な
のは礼拝に出席したり、聖書を読んだり、
神様と「つながっている」ことではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 20:21| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする