2019年06月01日

NEW人は外の顔かたちを見、主は心を見る

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サムエル記上16章6〜13節

彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、
「自分の前にいるこの人こそ、主が油を
そそがれる人だ」と思った。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたち
や身のたけを見てはならない。わたしはすで
にその人を捨てた。わたしが見るところは人
とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心
を見る」。

そこでエッサイはアビナダブを呼んで
サムエルの前を通らせた。サムエルは言った、
「主が選ばれたのはこの人でもない」。

エッサイはシャンマを通らせたが、
サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの
人でもない」。

エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせ
たが、サムエルはエッサイに言った、「主が
選ばれたのはこの人たちではない」。

サムエルはエッサイに言った、「あなたの
むすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、
「まだ末の子が残っていますが羊を飼って
います」。サムエルはエッサイに言った、
「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここ
に来るまで、われわれは食卓につきません」。

そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色の
よい、目のきれいな、姿の美しい人であった。
主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。
これがその人である」。

サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの
中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、
主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。
そしてサムエルは立ってラマへ行った。

〜コメント〜
預言者サムエルが神に命じられて、新しい
イスラエルの王(メシア)を見つける箇所
です。…人の目に見えない心を神は見て
いるのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年05月18日

人をさばくな。自分がさばかれないためである

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マタイによる福音書・7章1〜4節

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

あなたがたがさばくそのさばきで、
自分もさばかれ、あなたがたの量るその
はかりで、自分にも量り与えられるであろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に
むかって、あなたの目からちりを取らせて
ください、と言えようか。

〜コメント〜
有名な聖書の箇所ですね。赦す者は赦され、
愛する者は愛されると、イエスは弟子に度々
教えています。(信徒S)

ラベル:会津若松教会
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2019年04月27日

へびのように賢く、はとのように素直であれ

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マタイによる福音書・10章16節

わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、はとのように
素直であれ。

〜コメント〜
この世には様々な悪があります。例えば
オレオレ詐欺のように人の優しさにつけ
こみ、お金を騙し取ったり、社会経験の
少ない若者に儲け話をして、高額な商品
を借金をさせて購入させるなど、相手を
信じこませて利用しようとする悪です。

聖書の創世記では、アダムとイブは悪意
を持ったヘビに騙されて、エデンの園を
追放されてしまいます。私たちも何が
「悪」であるのか、ヘビのように十分に
知った上で、ハトのように「善」に対し
て素直に行動する必要があるのではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年04月13日

だから今、それをやりとげなさい

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コリント人への第二の手紙8章11〜12節

だから今、それをやりとげなさい。
あなたがたが心から願っているように、
持っているところに応じて、
それをやりとげなさい。

もし心から願ってそうするなら、
持たないところによらず、
持っているところによって、
神に受けいれられるのである。

〜コメント〜
新しい年度のスタートを、上手くすごせず
に悩んでいる人もいるかもしれません。
あまり背伸びをせずに、今の自分に出来る
範囲内で、コツコツやって行きましょう
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年03月10日

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている

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ヨハネの黙示録・3章14節〜22節

ラオデキヤにある教会の御使に、こう書き
おくりなさい。
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、
神に造られたものの根源であるかたが、
次のように言われる。

わたしはあなたのわざを知っている。
あなたは冷たくもなく、熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

このように、熱くもなく、冷たくもなく、
なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、
なんの不自由もないと言っているが、実は、
あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、
貧しい者、目の見えない者、裸な者である
ことに気がついていない。

そこで、あなたに勧める。富む者となる
ために、わたしから火で精錬された金を
買い、また、あなたの裸の恥をさらさない
ため身に着けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬
を買いなさい。

すべてわたしの愛している者を、わたしは
しかったり、懲らしめたりする。だから、
熱心になって悔い改めなさい。

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいて
いる。だれでもわたしの声を聞いて戸を
あけるなら、わたしはその中にはいって彼
と食を共にし、彼もまたわたしと食を共に
するであろう。

勝利を得る者には、わたしと共にわたしの
座につかせよう。それはちょうど、わたし
が勝利を得てわたしの父と共にその御座に
ついたのと同様である。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを
聞くがよい』」。

〜コメント〜
聖書の中で最も分かりにくいのが、
黙示録ではないでしょうか。黙示録
はローマ帝国から迫害を受けていた
諸教会に向け、励ましや耐え忍ぶ為
に書かれたとも言われます。

また、権力者を直接批判することを
避け、異様な怪物の姿で描くなど、
比喩やクリスチャンだけが分かる表
現、数字等を多用しているために、
余計、難解だとされます。

……滅びを強調するのでなく、いつ
何が起こるか分からない世の中だか
らこそ、今を大切にして、いざと言
う時に備えて生きたいですね。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年03月07日

ふたりはひとりにまさる

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コヘレトの言葉(伝道の書)4章9〜12節

ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦に
よって良い報いを得るからである。

すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりが
その友を助け起す。しかしひとりであって、
その倒れる時、これを助け起す者のない者は
わざわいである。

またふたりが一緒に寝れば暖かである。
ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。

人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、
ふたりで、それに当るであろう。三つよりの
綱はたやすくは切れない。

〜コメント〜
知恵者ソロモン王の言葉には、どんな時代
や社会にも通じる知恵を感じます。
聖書が広く読まれ続ける理由の1つでは
ないでしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年02月26日

後のものを忘れ、前のものに向かって

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フィリピの信徒への手紙3章13〜16節

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは
思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに
向かってからだを伸ばしつつ、

目標を目ざして走り、キリスト・イエスに
おいて上に召して下さる神の賞与を得よう
と努めているのである。

だから、わたしたちの中で全き人たちは、
そのように考えるべきである。しかし、
あなたがたが違った考えを持っているなら、
神はそのことも示して下さるであろう。

ただ、わたしたちは、達し得たところに
従って進むべきである。

〜コメント〜
私たちも「後のもの」(過去)を忘れ、
「前のもの」(未来)に希望を託して、
今をひたすら生きることで、人生が開か
れる時があるかもしれません。そんな時
でも「からだを伸ばしつつ」準備体操は
忘れずに、しっかり顔を上げて行きたい
ですね!(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年01月02日

ここにわたしがおります

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イザヤ書・第6章1〜8節

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげ
られたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼
をもっていた。その二つをもって顔をおおい、
二つをもって足をおおい、二つをもって飛び
かけり、

互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基
が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れた
くちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に
住む者であるのに、わたしの目が万軍の主な
る王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、

わたしの口に触れて言った、「見よ、これが
あなたのくちびるに触れたので、あなたの悪
は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれ
われのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしが
おります。わたしをおつかわしください」。

〜コメント〜
力強い預言者のイメージがあるイザヤも、
神から赦されて、初めて自分が生きる意味
(使命)を見出します。私たちも今の時代
に遣わされていると思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月23日

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である

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ヨハネによる福音書・第15章1〜17節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は
農夫である。

わたしにつながっている枝で実を結ばない
ものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を
結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって
既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、
わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝
である。もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。わたし
から離れては、あなたがたは何一つできない
からである。

人がわたしにつながっていないならば、枝の
ように外に投げすてられて枯れる。人々は
それをかき集め、火に投げ入れて、焼いて
しまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたにとどまっている
ならば、なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたし
の弟子となるならば、それによって、わたし
の父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなた
がたを愛したのである。わたしの愛のうちに
いなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなた
がたはわたしの愛のうちにおるのである。
それはわたしがわたしの父のいましめを守った
ので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたし
の喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるため
である。

わたしのいましめは、これである。わたしが
あなたがたを愛したように、あなたがたも互
に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うなら
ば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人のしていることを知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父
から聞いたことを皆、あなたがたに知らせた
からである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである。そして、
あなたがたを立てた。それは、あなたがたが
行って実をむすび、その実がいつまでも残る
ためであり、また、あなたがたがわたしの名に
よって父に求めるものはなんでも、父が与えて
下さるためである。

これらのことを命じるのは、あなたがたが互に
愛し合うためである。

〜コメント〜
聖書や信仰について、分からないことは、
正直よくあることです。ですが大切な
のは礼拝に出席したり、聖書を読んだり、
神様と「つながっている」ことではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月17日

わたしは雲の中に、にじを置く

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創世記9章8〜17節

神はノアおよび共にいる子らに言われた、

「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の
子孫と契約を立てる。

またあなたがたと共にいるすべての生き物、
あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべて
の獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、
地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれ
と契約を立てよう。

わたしがあなたがたと立てるこの契約により、
すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼ
されることはなく、また地を滅ぼす洪水は、
再び起らないであろう」。

さらに神は言われた、「これはわたしと、
あなたがた及びあなたがたと共にいるすべて
の生き物との間に代々かぎりなく、わたしが
立てる契約のしるしである。

すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。
これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の
中に現れる。

こうして、わたしは、わたしとあなたがた、
及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立
てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、
すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを
見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる
生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこす
であろう」。

そして神はノアに言われた、「これがわたし
と地にあるすべて肉なるものとの間に、わたし
が立てた契約のしるしである」。

〜コメント〜
雨上がりの虹を見ると、なぜか嬉しい気持
ちになりますね有名なノアの箱舟の後で
神が生き物すべてと交わした約束の虹です。
そこには神の愛が示されているように思う
のです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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