2018年05月17日

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも

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マタイによる福音書5章43〜48節

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていた
ことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、
迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となる
ためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の
上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しく
ない者にも、雨を降らして下さるからである。

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、
なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人
でもするではないか。

兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんの
すぐれた事をしているだろうか。そのような
ことは異邦人でもしているではないか。

それだから、あなたがたの天の父が完全で
あられるように、あなたがたも完全な者と
なりなさい。

〜コメント〜
キリスト教は、神の無償の愛を説きますが、
イエスに心を向ける時、不十分な私たちも
神によって導かれて行くのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年04月07日

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる

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イザヤ書41章9〜10節

わたしは地の果から、あなたを連れてき、
地のすみずみから、あなたを召して、
あなたに言った、「あなたは、わたしの
しもべ、わたしは、あなたを選んで捨て
なかった」と。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

〜コメント〜
イザヤ書には力強い言葉が数多く見られます。
神から離れやすい人々に、繰り返し神が共に
いることを伝えています。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年03月10日

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る

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詩篇・第126篇

主がシオンの繁栄を回復されたとき、
われらは夢みる者のようであった。

その時われらの口は笑いで満たされ、
われらの舌は喜びの声で満たされた。
その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と
言った者が、もろもろの国民の中にあった。

主はわれらのために大いなる事をなされたので、
われらは喜んだ。

主よ、どうか、われらの繁栄を、
ネゲブの川のように回復してください。

涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。

種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

〜コメント〜
祖国を追われ捕われの身となったイスラエルの
人々が思いがけず、解放された喜びを歌った詩。
困難な中で涙を流しつつも、前へと歩み続ける
人々をどうかお導き下さい。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年02月18日

求めても与えられないのは

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ヤコブの手紙・第4章1〜3節

あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、
どこから起るのか。それはほかではない。
あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からでは
ないか。

あなたがたは、むさぼるが得られない。
そこで人殺しをする。熱望するが手に入れる
ことができない。そこで争い戦う。
あなたがたは、求めないから得られないのだ。

求めても与えられないのは、快楽のために
使おうとして、悪い求め方をするからだ。

〜コメント〜
祈りや願いが叶えられない時こそ、実は悪い
求め方をしていないか、省みたいと思います。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年01月08日

暗やみに輝くともしびとして、目をとめているがよい

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ペテロの第二の手紙・1章15〜21節

わたしが世を去った後にも、これらのことを、
あなたがたにいつも思い出させるように努めよう。

わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、
あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな
作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、
そのご威光の目撃者なのだからである。

イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けに
なったが、その時、おごそかな栄光の中から次の
ようなみ声がかかったのである、「これはわたしの
愛する子、わたしの心にかなう者である」。

わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から
出たこの声を聞いたのである。

こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう
確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、
明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、
この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、
それに目をとめているがよい。

聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでない
ことを、まず第一に知るべきである。

なぜなら、預言は決して人間の意志から出たもの
ではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語った
ものだからである。

〜コメント〜
とても詩的な言葉ですね。暗闇の困難な中でも
預言(神のみ言葉)に心を留めて、その小さな
光を頼って進もうと、作者は語ります。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年09月05日

わたしは悪人の死を喜ばない

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エゼキエル書33章10〜11節

それゆえ、人の子よ、イスラエルの家に言え、
あなたがたはこう言った、『われわれのとがと、
罪はわれわれの上にある。われわれはその中に
あって衰えはてる。どうして生きることができ
ようか』と。

あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、
わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ば
ない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるの
を喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻して
その悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、
あなたはどうして死んでよかろうか。

〜コメント〜
預言者エゼキエルは、捕らわれの身となった
イスラエルの人々に神の言葉を伝えました。
弱り果てて悪い思いに捕らわれる時、あなた
は死んではいけない、神のみ前に立ち返って、
生きる者になりなさい、と神は今も語り続け
ます。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年08月18日

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい

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テサロニケ人への第一の手紙5章16節〜18節

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、
キリスト・イエスにあって、神があなたがた
に求めておられることである。

〜コメント〜
有名な聖書のみ言葉です。喜び、祈り、感謝
して生きる。クリスチャンなら誰もが憧れる
理想の状態(天国)ではないでしょうか?
…せめて現実では、もう少しお祈りに努めた
いと思います。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年07月03日

わが心はおごらず、わが目は高ぶらず

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詩篇・第131篇

主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、
わたしはわが力の及ばない大いなる事と
くすしきわざとに関係いたしません。

かえって、乳離れしたみどりごが、
その母のふところに安らかにあるように、
わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。
わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。

イスラエルよ、今からとこしえに
主によって望みをいだけ。

〜コメント〜
自分の力ではどうにもならない事に心悩ませ、
神経をすり減らす時、自分の足元を見つめ、
主に委ねて歩もうと、詩人は呼びかけます。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年06月19日

この小さい者のひとりに

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マタイによる福音書・10章40〜42節

あなたがたを受けいれる者は、わたしを受け
いれるのである。わたしを受けいれる者は、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれ
るのである。

預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、
預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人
を受けいれる者は、義人の報いを受けるで
あろう。

わたしの弟子であるという名のゆえに、この
小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませ
てくれる者は、よく言っておくが、決して
その報いからもれることはない」。

〜コメント〜
マタイ10章は、神に仕える使徒たちへ語った
重要な個所ですが、小さな働きでも愛の為に
行うなら、神はそれを決して忘れないのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年05月14日

わたしがあなたがたを選んだ【信徒奨励より】

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〜コメント〜
5/14の信徒奨励(証し)の中で、石田兄弟
は、かつて「自分が信仰を選んだ」という
思いが強かったと告白しています。

ある時、幼子が親の手の指を握って歩いて
いて、うっかりその指を離して転んでしま
います。すると親は幼子を優しく起こし、
その手を包み込む様に握り直して、再び歩
き出しました。

その姿に「あなたがたが私を選んだのでは
ない。私があなたがたを選んだのである」
という聖句が思い出され、信仰的な衝撃を
受けたといいます。

この親子の様に、私たちが神様の手を握っ
ている(選んでいる)つもりが、実は神様
の方が私たちを愛して、握っていて下さっ
ていると気付かされたのです。

……私たちが神様を愛するより先に、神様
が私たちを愛し、共におられるのです。
(信徒S)

(参考箇所)
ヨハネによる福音書15章12〜17節

わたしのいましめは、これである。わたし
があなたがたを愛したように、あなたがた
も互に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行う
ならば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ば
ない。僕は主人のしていることを知らな
いからである。わたしはあなたがたを友
と呼んだ。わたしの父から聞いたことを
皆、あなたがたに知らせたからである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである。
そして、あなたがたを立てた。それは、
あなたがたが行って実をむすび、その実
がいつまでも残るためであり、また、
あなたがたがわたしの名によって父に求
めるものはなんでも、父が与えて下さる
ためである。

これらのことを命じるのは、あなたがた
が互に愛し合うためである。
ラベル:会津若松教会
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