2019年04月13日

NEWだから今、それをやりとげなさい

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コリント人への第二の手紙8章11〜12節

だから今、それをやりとげなさい。
あなたがたが心から願っているように、
持っているところに応じて、
それをやりとげなさい。

もし心から願ってそうするなら、
持たないところによらず、
持っているところによって、
神に受けいれられるのである。

〜コメント〜
新しい年度のスタートを、上手くすごせず
に悩んでいる人もいるかもしれません。
あまり背伸びをせずに、今の自分に出来る
範囲内で、コツコツやって行きましょう
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年03月10日

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている

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ヨハネの黙示録・3章14節〜22節

ラオデキヤにある教会の御使に、こう書き
おくりなさい。
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、
神に造られたものの根源であるかたが、
次のように言われる。

わたしはあなたのわざを知っている。
あなたは冷たくもなく、熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

このように、熱くもなく、冷たくもなく、
なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、
なんの不自由もないと言っているが、実は、
あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、
貧しい者、目の見えない者、裸な者である
ことに気がついていない。

そこで、あなたに勧める。富む者となる
ために、わたしから火で精錬された金を
買い、また、あなたの裸の恥をさらさない
ため身に着けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬
を買いなさい。

すべてわたしの愛している者を、わたしは
しかったり、懲らしめたりする。だから、
熱心になって悔い改めなさい。

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいて
いる。だれでもわたしの声を聞いて戸を
あけるなら、わたしはその中にはいって彼
と食を共にし、彼もまたわたしと食を共に
するであろう。

勝利を得る者には、わたしと共にわたしの
座につかせよう。それはちょうど、わたし
が勝利を得てわたしの父と共にその御座に
ついたのと同様である。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを
聞くがよい』」。

〜コメント〜
聖書の中で最も分かりにくいのが、
黙示録ではないでしょうか。黙示録
はローマ帝国から迫害を受けていた
諸教会に向け、励ましや耐え忍ぶ為
に書かれたとも言われます。

また、権力者を直接批判することを
避け、異様な怪物の姿で描くなど、
比喩やクリスチャンだけが分かる表
現、数字等を多用しているために、
余計、難解だとされます。

……滅びを強調するのでなく、いつ
何が起こるか分からない世の中だか
らこそ、今を大切にして、いざと言
う時に備えて生きたいですね。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年03月07日

ふたりはひとりにまさる

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コヘレトの言葉(伝道の書)4章9〜12節

ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦に
よって良い報いを得るからである。

すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりが
その友を助け起す。しかしひとりであって、
その倒れる時、これを助け起す者のない者は
わざわいである。

またふたりが一緒に寝れば暖かである。
ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。

人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、
ふたりで、それに当るであろう。三つよりの
綱はたやすくは切れない。

〜コメント〜
知恵者ソロモン王の言葉には、どんな時代
や社会にも通じる知恵を感じます。
聖書が広く読まれ続ける理由の1つでは
ないでしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年02月26日

後のものを忘れ、前のものに向かって

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フィリピの信徒への手紙3章13〜16節

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは
思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに
向かってからだを伸ばしつつ、

目標を目ざして走り、キリスト・イエスに
おいて上に召して下さる神の賞与を得よう
と努めているのである。

だから、わたしたちの中で全き人たちは、
そのように考えるべきである。しかし、
あなたがたが違った考えを持っているなら、
神はそのことも示して下さるであろう。

ただ、わたしたちは、達し得たところに
従って進むべきである。

〜コメント〜
私たちも「後のもの」(過去)を忘れ、
「前のもの」(未来)に希望を託して、
今をひたすら生きることで、人生が開か
れる時があるかもしれません。そんな時
でも「からだを伸ばしつつ」準備体操は
忘れずに、しっかり顔を上げて行きたい
ですね!(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年01月02日

ここにわたしがおります

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イザヤ書・第6章1〜8節

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげ
られたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼
をもっていた。その二つをもって顔をおおい、
二つをもって足をおおい、二つをもって飛び
かけり、

互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基
が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れた
くちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に
住む者であるのに、わたしの目が万軍の主な
る王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、

わたしの口に触れて言った、「見よ、これが
あなたのくちびるに触れたので、あなたの悪
は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれ
われのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしが
おります。わたしをおつかわしください」。

〜コメント〜
力強い預言者のイメージがあるイザヤも、
神から赦されて、初めて自分が生きる意味
(使命)を見出します。私たちも今の時代
に遣わされていると思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月23日

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である

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ヨハネによる福音書・第15章1〜17節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は
農夫である。

わたしにつながっている枝で実を結ばない
ものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を
結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって
既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、
わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝
である。もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。わたし
から離れては、あなたがたは何一つできない
からである。

人がわたしにつながっていないならば、枝の
ように外に投げすてられて枯れる。人々は
それをかき集め、火に投げ入れて、焼いて
しまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたにとどまっている
ならば、なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたし
の弟子となるならば、それによって、わたし
の父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなた
がたを愛したのである。わたしの愛のうちに
いなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなた
がたはわたしの愛のうちにおるのである。
それはわたしがわたしの父のいましめを守った
ので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたし
の喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるため
である。

わたしのいましめは、これである。わたしが
あなたがたを愛したように、あなたがたも互
に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うなら
ば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人のしていることを知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父
から聞いたことを皆、あなたがたに知らせた
からである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである。そして、
あなたがたを立てた。それは、あなたがたが
行って実をむすび、その実がいつまでも残る
ためであり、また、あなたがたがわたしの名に
よって父に求めるものはなんでも、父が与えて
下さるためである。

これらのことを命じるのは、あなたがたが互に
愛し合うためである。

〜コメント〜
聖書や信仰について、分からないことは、
正直よくあることです。ですが大切な
のは礼拝に出席したり、聖書を読んだり、
神様と「つながっている」ことではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月17日

わたしは雲の中に、にじを置く

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創世記9章8〜17節

神はノアおよび共にいる子らに言われた、

「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の
子孫と契約を立てる。

またあなたがたと共にいるすべての生き物、
あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべて
の獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、
地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれ
と契約を立てよう。

わたしがあなたがたと立てるこの契約により、
すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼ
されることはなく、また地を滅ぼす洪水は、
再び起らないであろう」。

さらに神は言われた、「これはわたしと、
あなたがた及びあなたがたと共にいるすべて
の生き物との間に代々かぎりなく、わたしが
立てる契約のしるしである。

すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。
これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の
中に現れる。

こうして、わたしは、わたしとあなたがた、
及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立
てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、
すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを
見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる
生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこす
であろう」。

そして神はノアに言われた、「これがわたし
と地にあるすべて肉なるものとの間に、わたし
が立てた契約のしるしである」。

〜コメント〜
雨上がりの虹を見ると、なぜか嬉しい気持
ちになりますね有名なノアの箱舟の後で
神が生き物すべてと交わした約束の虹です。
そこには神の愛が示されているように思う
のです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年10月13日

義に過ぎてはならない、悪に過ぎてはならない

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伝道の書・7章15節〜22節

わたしはこのむなしい人生において、
もろもろの事を見た。そこには義人がその義に
よって滅びることがあり、悪人がその悪によって
長生きすることがある。

あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに
過ぎてはならない。あなたはどうして自分を
滅ぼしてよかろうか。

悪に過ぎてはならない。また愚かであっては
ならない。あなたはどうして、自分の時の
こないのに、死んでよかろうか。

あなたがこれを執るのはよい、また彼から手を
引いてはならない。神をかしこむ者は、
このすべてからのがれ出るのである。

知恵が知者を強くするのは、十人のつかさが
町におるのにまさる。

善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。

人の語るすべての事に心をとめてはならない。
これはあなたが、自分のしもべのあなたを
のろう言葉を聞かないためである。

あなたもまた、しばしば他人をのろったのを
自分の心に知っているからである。

〜コメント〜
旧約聖書にある伝道の書(コヘレトの言葉)に
は、聖書らしからぬ?人生の虚しさ(空)が至
る所に書かれています。

ソロモン王が書いたとされ、頭脳明晰で絶大な
権力を用いてイスラエルの繁栄を築き、誰より
も夢や願望を叶えて来た王が、人生を空と言う
のは意外な感じがします。

そんな伝道の書ですが、結論は「神に拠り頼み、
自分に与えられた分の中で感謝して生きること」
のようです。この人生の虚しさは、ソロモン王
の死後に書かれた新約聖書によって乗り越えら
れて行きます。(信徒S)

〜補足〜
20節にあるように、人は誰もが大なり小なり悪
を犯します。新約聖書では義に過ぎていた人々
は、自分を正しいと過信して他人の罪を裁いて
救われることがありませんでした。(*1)一方で、
悪と見なされる生き方に忠実?に生きる悪に過
ぎた人々もいました。(*2)

そのどちらに対してもイエスは自ら進んで関わ
り合います。神の無償の愛だけが、傲りや弱さ
や欠けのある、すべての人を救うのです。愛が
なければすべては無に等しく(*3)、愛がすべてを
生かすことを、新約聖書は示しています。

(*1)ルカによる福音書18章9節〜14節
(*2)ルカによる福音書19章1節〜10節
(*3)コリント人への第一の手紙13章
ラベル:会津若松教会
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2018年09月12日

耐えられないような試錬に会わせることはない

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コリントの信徒への手紙一10章13節

あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に
会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、
それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。

〜コメント〜

「耐えられない試練はない」という言葉は
聖書に由来します。……正直、私にとって
苦手な言葉ですが、『あなたがた』と複数
形で語られているように、私一人では手に
負えない出来事でも、助けを求め、共に担
い合う時、人は強く支えられるかと思うの
です。どの人も決して一人ではないのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年08月25日

人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のよう

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イザヤ書第40章1〜31節

あなたがたの神は言われる、
「慰めよ、わが民を慰めよ、

ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、
その服役の期は終り、
そのとがはすでにゆるされ、
そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を
主の手から受けた」。

呼ばわる者の声がする、
「荒野に主の道を備え、
さばくに、われわれの神のために、
大路をまっすぐにせよ。

もろもろの谷は高くせられ、
もろもろの山と丘とは低くせられ、
高底のある地は平らになり、
険しい所は平地となる。

こうして主の栄光があらわれ、
人は皆ともにこれを見る。
これは主の口が語られたのである」。

声が聞える、「呼ばわれ」。
わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。
「人はみな草だ。
その麗しさは、すべて野の花のようだ。

主の息がその上に吹けば、
草は枯れ、花はしぼむ。
たしかに人は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。

よきおとずれをシオンに伝える者よ、
高い山にのぼれ。
よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、
強く声をあげよ、
声をあげて恐れるな。
ユダのもろもろの町に言え、
「あなたがたの神を見よ」と。

見よ、主なる神は大能をもってこられ、
その腕は世を治める。
見よ、その報いは主と共にあり、
そのはたらきの報いは、そのみ前にある。

主は牧者のようにその群れを養い、
そのかいなに小羊をいだき、
そのふところに入れて携えゆき、
乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

だれが、たなごころをもって海をはかり、
指を伸ばして天をはかり、
地のちりを枡に盛り、
てんびんをもって、もろもろの山をはかり、
はかりをもって、もろもろの丘をはかったか。

だれが、主の霊を導き、
その相談役となって主を教えたか。

主はだれと相談して悟りを得たか。
だれが主に公義の道を教え、
知識を教え、悟りの道を示したか。

見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、
はかりの上のちりのように思われる。
見よ、主は島々を、ほこりのようにあげられる。

レバノンは、たきぎに足りない、
またその獣は、燔祭に足りない。

主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。
彼らは主によって、無きもののように、
むなしいもののように思われる。

それで、あなたがたは神をだれとくらべ、
どんな像と比較しようとするのか。

偶像は細工人が鋳て造り、
鍛冶が、金をもって、それをおおい、
また、これがために銀の鎖を造る。

貧しい者は、ささげ物として
朽ちることのない木を選び、
巧みな細工人を求めて、
動くことのない像を立たせる。

あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。

主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、

また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。

彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。

聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。

目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。
主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。

ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。

あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

〜コメント〜
イザヤ書は40章から内容が大きく変わり
ます。ここから後半は、神による回復が
告げられているのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 12:28| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする