2019年08月24日

NEW試錬を受けて苦しまれたからこそ

humanitarian-aid.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、
試錬の中にある者たちを助けることができる
のである。
〜ヘブル人への手紙2章18節〜

〜解説〜
イエスは旧約聖書に示された預言*の通り、
十字架に架かるという試練を受けて苦し
みましたが、人間を超越した神ではなく、
自らも人の苦しみや悲しみ、痛みを理解
し、それを共に担うことで、人を救いに
導く道を開いたと、聖書は教えています。

私達も試練や困難を通して、さまざまな
問題に気付き、同じような悩みの中にあ
る人の心を理解し、共に生きて行くこと
が出来るのではないでしょうか。
(信徒S)

<参考>
*イザヤ書53章

だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。

彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、
威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。

彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者の
ように、彼は侮られた。
われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、
苦しめられたのだと。

しかし彼はわれわれのとがの
ために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。

われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。

彼はしえたげられ、
苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている
羊のように、口を開かなかった。

彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、
だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。

彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。

しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

彼は自分の魂の苦しみにより光を
見て満足する。義なるわがしもべは
その知識によって、多くの人を義とし、
また彼らの不義を負う。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者と
共に物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂を
そそぎだし、とがある者と共に
数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 20:51| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月12日

NEWできる限りすべての人と平和に過ごしなさい

people201908.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

ローマ人への手紙12章18〜21節

あなたがたは、できる限りすべての人と
平和に過ごしなさい。

愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのすること
である。わたし自身が報復する」と書いて
あるからである。

むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、
彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。
そうすることによって、あなたは彼の頭に
燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

悪に負けてはいけない。かえって、
善をもって悪に勝ちなさい。

〜コメント〜
キリスト教は愛や平和を説きますが、
それは「できる限り」であって、
「必ず」ではない点に特徴があると
思います。「復讐を神に任せよ」
と説くパウロの言葉は、旧約聖書の
土台の上に建つキリスト教をよく示
しています。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:36| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月01日

人は外の顔かたちを見、主は心を見る

people201905.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

サムエル記上16章6〜13節

彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、
「自分の前にいるこの人こそ、主が油を
そそがれる人だ」と思った。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたち
や身のたけを見てはならない。わたしはすで
にその人を捨てた。わたしが見るところは人
とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心
を見る」。

そこでエッサイはアビナダブを呼んで
サムエルの前を通らせた。サムエルは言った、
「主が選ばれたのはこの人でもない」。

エッサイはシャンマを通らせたが、
サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの
人でもない」。

エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせ
たが、サムエルはエッサイに言った、「主が
選ばれたのはこの人たちではない」。

サムエルはエッサイに言った、「あなたの
むすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、
「まだ末の子が残っていますが羊を飼って
います」。サムエルはエッサイに言った、
「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここ
に来るまで、われわれは食卓につきません」。

そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色の
よい、目のきれいな、姿の美しい人であった。
主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。
これがその人である」。

サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの
中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、
主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。
そしてサムエルは立ってラマへ行った。

〜コメント〜
預言者サムエルが神に命じられて、新しい
イスラエルの王(メシア)を見つける箇所
です。…人の目に見えない心を神は見て
いるのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:26| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

人をさばくな。自分がさばかれないためである

girls-201905.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)
マタイによる福音書・7章1〜4節

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

あなたがたがさばくそのさばきで、
自分もさばかれ、あなたがたの量るその
はかりで、自分にも量り与えられるであろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に
むかって、あなたの目からちりを取らせて
ください、と言えようか。

〜コメント〜
有名な聖書の箇所ですね。赦す者は赦され、
愛する者は愛されると、イエスは弟子に度々
教えています。(信徒S)

ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:02| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月27日

へびのように賢く、はとのように素直であれ

201904mikotoba.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

マタイによる福音書・10章16節

わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、はとのように
素直であれ。

〜コメント〜
この世には様々な悪があります。例えば
オレオレ詐欺のように人の優しさにつけ
こみ、お金を騙し取ったり、社会経験の
少ない若者に儲け話をして、高額な商品
を借金をさせて購入させるなど、相手を
信じこませて利用しようとする悪です。

聖書の創世記では、アダムとイブは悪意
を持ったヘビに騙されて、エデンの園を
追放されてしまいます。私たちも何が
「悪」であるのか、ヘビのように十分に
知った上で、ハトのように「善」に対し
て素直に行動する必要があるのではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:57| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

だから今、それをやりとげなさい

jump2019.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

コリント人への第二の手紙8章11〜12節

だから今、それをやりとげなさい。
あなたがたが心から願っているように、
持っているところに応じて、
それをやりとげなさい。

もし心から願ってそうするなら、
持たないところによらず、
持っているところによって、
神に受けいれられるのである。

〜コメント〜
新しい年度のスタートを、上手くすごせず
に悩んでいる人もいるかもしれません。
あまり背伸びをせずに、今の自分に出来る
範囲内で、コツコツやって行きましょう
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:12| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている

door20190310.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

ヨハネの黙示録・3章14節〜22節

ラオデキヤにある教会の御使に、こう書き
おくりなさい。
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、
神に造られたものの根源であるかたが、
次のように言われる。

わたしはあなたのわざを知っている。
あなたは冷たくもなく、熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

このように、熱くもなく、冷たくもなく、
なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、
なんの不自由もないと言っているが、実は、
あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、
貧しい者、目の見えない者、裸な者である
ことに気がついていない。

そこで、あなたに勧める。富む者となる
ために、わたしから火で精錬された金を
買い、また、あなたの裸の恥をさらさない
ため身に着けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬
を買いなさい。

すべてわたしの愛している者を、わたしは
しかったり、懲らしめたりする。だから、
熱心になって悔い改めなさい。

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいて
いる。だれでもわたしの声を聞いて戸を
あけるなら、わたしはその中にはいって彼
と食を共にし、彼もまたわたしと食を共に
するであろう。

勝利を得る者には、わたしと共にわたしの
座につかせよう。それはちょうど、わたし
が勝利を得てわたしの父と共にその御座に
ついたのと同様である。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを
聞くがよい』」。

〜コメント〜
聖書の中で最も分かりにくいのが、
黙示録ではないでしょうか。黙示録
はローマ帝国から迫害を受けていた
諸教会に向け、励ましや耐え忍ぶ為
に書かれたとも言われます。

また、権力者を直接批判することを
避け、異様な怪物の姿で描くなど、
比喩やクリスチャンだけが分かる表
現、数字等を多用しているために、
余計、難解だとされます。

……滅びを強調するのでなく、いつ
何が起こるか分からない世の中だか
らこそ、今を大切にして、いざと言
う時に備えて生きたいですね。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:50| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

ふたりはひとりにまさる

couple.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

コヘレトの言葉(伝道の書)4章9〜12節

ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦に
よって良い報いを得るからである。

すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりが
その友を助け起す。しかしひとりであって、
その倒れる時、これを助け起す者のない者は
わざわいである。

またふたりが一緒に寝れば暖かである。
ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。

人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、
ふたりで、それに当るであろう。三つよりの
綱はたやすくは切れない。

〜コメント〜
知恵者ソロモン王の言葉には、どんな時代
や社会にも通じる知恵を感じます。
聖書が広く読まれ続ける理由の1つでは
ないでしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:05| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月26日

後のものを忘れ、前のものに向かって

201902walking.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

フィリピの信徒への手紙3章13〜16節

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは
思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに
向かってからだを伸ばしつつ、

目標を目ざして走り、キリスト・イエスに
おいて上に召して下さる神の賞与を得よう
と努めているのである。

だから、わたしたちの中で全き人たちは、
そのように考えるべきである。しかし、
あなたがたが違った考えを持っているなら、
神はそのことも示して下さるであろう。

ただ、わたしたちは、達し得たところに
従って進むべきである。

〜コメント〜
私たちも「後のもの」(過去)を忘れ、
「前のもの」(未来)に希望を託して、
今をひたすら生きることで、人生が開か
れる時があるかもしれません。そんな時
でも「からだを伸ばしつつ」準備体操は
忘れずに、しっかり顔を上げて行きたい
ですね!(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:06| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

ここにわたしがおります

road201901.jpg
(クリックすると写真が大きくなります)

イザヤ書・第6章1〜8節

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげ
られたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼
をもっていた。その二つをもって顔をおおい、
二つをもって足をおおい、二つをもって飛び
かけり、

互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基
が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れた
くちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に
住む者であるのに、わたしの目が万軍の主な
る王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、

わたしの口に触れて言った、「見よ、これが
あなたのくちびるに触れたので、あなたの悪
は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれ
われのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしが
おります。わたしをおつかわしください」。

〜コメント〜
力強い預言者のイメージがあるイザヤも、
神から赦されて、初めて自分が生きる意味
(使命)を見出します。私たちも今の時代
に遣わされていると思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 17:03| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする