2019年01月02日

ここにわたしがおります

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イザヤ書・第6章1〜8節

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげ
られたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼
をもっていた。その二つをもって顔をおおい、
二つをもって足をおおい、二つをもって飛び
かけり、

互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基
が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れた
くちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に
住む者であるのに、わたしの目が万軍の主な
る王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、

わたしの口に触れて言った、「見よ、これが
あなたのくちびるに触れたので、あなたの悪
は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれ
われのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしが
おります。わたしをおつかわしください」。

〜コメント〜
力強い預言者のイメージがあるイザヤも、
神から赦されて、初めて自分が生きる意味
(使命)を見出します。私たちも今の時代
に遣わされていると思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月23日

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である

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ヨハネによる福音書・第15章1〜17節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は
農夫である。

わたしにつながっている枝で実を結ばない
ものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を
結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって
既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、
わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝
である。もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。わたし
から離れては、あなたがたは何一つできない
からである。

人がわたしにつながっていないならば、枝の
ように外に投げすてられて枯れる。人々は
それをかき集め、火に投げ入れて、焼いて
しまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたにとどまっている
ならば、なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたし
の弟子となるならば、それによって、わたし
の父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなた
がたを愛したのである。わたしの愛のうちに
いなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなた
がたはわたしの愛のうちにおるのである。
それはわたしがわたしの父のいましめを守った
ので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたし
の喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるため
である。

わたしのいましめは、これである。わたしが
あなたがたを愛したように、あなたがたも互
に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うなら
ば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人のしていることを知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父
から聞いたことを皆、あなたがたに知らせた
からである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである。そして、
あなたがたを立てた。それは、あなたがたが
行って実をむすび、その実がいつまでも残る
ためであり、また、あなたがたがわたしの名に
よって父に求めるものはなんでも、父が与えて
下さるためである。

これらのことを命じるのは、あなたがたが互に
愛し合うためである。

〜コメント〜
聖書や信仰について、分からないことは、
正直よくあることです。ですが大切な
のは礼拝に出席したり、聖書を読んだり、
神様と「つながっている」ことではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年11月17日

わたしは雲の中に、にじを置く

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創世記9章8〜17節

神はノアおよび共にいる子らに言われた、

「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の
子孫と契約を立てる。

またあなたがたと共にいるすべての生き物、
あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべて
の獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、
地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれ
と契約を立てよう。

わたしがあなたがたと立てるこの契約により、
すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼ
されることはなく、また地を滅ぼす洪水は、
再び起らないであろう」。

さらに神は言われた、「これはわたしと、
あなたがた及びあなたがたと共にいるすべて
の生き物との間に代々かぎりなく、わたしが
立てる契約のしるしである。

すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。
これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の
中に現れる。

こうして、わたしは、わたしとあなたがた、
及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立
てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、
すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを
見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる
生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこす
であろう」。

そして神はノアに言われた、「これがわたし
と地にあるすべて肉なるものとの間に、わたし
が立てた契約のしるしである」。

〜コメント〜
雨上がりの虹を見ると、なぜか嬉しい気持
ちになりますね有名なノアの箱舟の後で
神が生き物すべてと交わした約束の虹です。
そこには神の愛が示されているように思う
のです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年10月13日

義に過ぎてはならない、悪に過ぎてはならない

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伝道の書・7章15節〜22節

わたしはこのむなしい人生において、
もろもろの事を見た。そこには義人がその義に
よって滅びることがあり、悪人がその悪によって
長生きすることがある。

あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに
過ぎてはならない。あなたはどうして自分を
滅ぼしてよかろうか。

悪に過ぎてはならない。また愚かであっては
ならない。あなたはどうして、自分の時の
こないのに、死んでよかろうか。

あなたがこれを執るのはよい、また彼から手を
引いてはならない。神をかしこむ者は、
このすべてからのがれ出るのである。

知恵が知者を強くするのは、十人のつかさが
町におるのにまさる。

善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。

人の語るすべての事に心をとめてはならない。
これはあなたが、自分のしもべのあなたを
のろう言葉を聞かないためである。

あなたもまた、しばしば他人をのろったのを
自分の心に知っているからである。

〜コメント〜
旧約聖書にある伝道の書(コヘレトの言葉)に
は、聖書らしからぬ?人生の虚しさ(空)が至
る所に書かれています。

ソロモン王が書いたとされ、頭脳明晰で絶大な
権力を用いてイスラエルの繁栄を築き、誰より
も夢や願望を叶えて来た王が、人生を空と言う
のは意外な感じがします。

そんな伝道の書ですが、結論は「神に拠り頼み、
自分に与えられた分の中で感謝して生きること」
のようです。この人生の虚しさは、ソロモン王
の死後に書かれた新約聖書によって乗り越えら
れて行きます。(信徒S)

〜補足〜
20節にあるように、人は誰もが大なり小なり悪
を犯します。新約聖書では義に過ぎていた人々
は、自分を正しいと過信して他人の罪を裁いて
救われることがありませんでした。(*1)一方で、
悪と見なされる生き方に忠実?に生きる悪に過
ぎた人々もいました。(*2)

そのどちらに対してもイエスは自ら進んで関わ
り合います。神の無償の愛だけが、傲りや弱さ
や欠けのある、すべての人を救うのです。愛が
なければすべては無に等しく(*3)、愛がすべてを
生かすことを、新約聖書は示しています。

(*1)ルカによる福音書18章9節〜14節
(*2)ルカによる福音書19章1節〜10節
(*3)コリント人への第一の手紙13章
ラベル:会津若松教会
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2018年09月12日

耐えられないような試錬に会わせることはない

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コリントの信徒への手紙一10章13節

あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に
会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、
それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。

〜コメント〜

「耐えられない試練はない」という言葉は
聖書に由来します。……正直、私にとって
苦手な言葉ですが、『あなたがた』と複数
形で語られているように、私一人では手に
負えない出来事でも、助けを求め、共に担
い合う時、人は強く支えられるかと思うの
です。どの人も決して一人ではないのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年08月25日

人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のよう

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イザヤ書第40章1〜31節

あなたがたの神は言われる、
「慰めよ、わが民を慰めよ、

ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、
その服役の期は終り、
そのとがはすでにゆるされ、
そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を
主の手から受けた」。

呼ばわる者の声がする、
「荒野に主の道を備え、
さばくに、われわれの神のために、
大路をまっすぐにせよ。

もろもろの谷は高くせられ、
もろもろの山と丘とは低くせられ、
高底のある地は平らになり、
険しい所は平地となる。

こうして主の栄光があらわれ、
人は皆ともにこれを見る。
これは主の口が語られたのである」。

声が聞える、「呼ばわれ」。
わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。
「人はみな草だ。
その麗しさは、すべて野の花のようだ。

主の息がその上に吹けば、
草は枯れ、花はしぼむ。
たしかに人は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。

よきおとずれをシオンに伝える者よ、
高い山にのぼれ。
よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、
強く声をあげよ、
声をあげて恐れるな。
ユダのもろもろの町に言え、
「あなたがたの神を見よ」と。

見よ、主なる神は大能をもってこられ、
その腕は世を治める。
見よ、その報いは主と共にあり、
そのはたらきの報いは、そのみ前にある。

主は牧者のようにその群れを養い、
そのかいなに小羊をいだき、
そのふところに入れて携えゆき、
乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

だれが、たなごころをもって海をはかり、
指を伸ばして天をはかり、
地のちりを枡に盛り、
てんびんをもって、もろもろの山をはかり、
はかりをもって、もろもろの丘をはかったか。

だれが、主の霊を導き、
その相談役となって主を教えたか。

主はだれと相談して悟りを得たか。
だれが主に公義の道を教え、
知識を教え、悟りの道を示したか。

見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、
はかりの上のちりのように思われる。
見よ、主は島々を、ほこりのようにあげられる。

レバノンは、たきぎに足りない、
またその獣は、燔祭に足りない。

主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。
彼らは主によって、無きもののように、
むなしいもののように思われる。

それで、あなたがたは神をだれとくらべ、
どんな像と比較しようとするのか。

偶像は細工人が鋳て造り、
鍛冶が、金をもって、それをおおい、
また、これがために銀の鎖を造る。

貧しい者は、ささげ物として
朽ちることのない木を選び、
巧みな細工人を求めて、
動くことのない像を立たせる。

あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。

主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、

また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。

彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。

聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。

目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。
主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。

ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。

あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

〜コメント〜
イザヤ書は40章から内容が大きく変わり
ます。ここから後半は、神による回復が
告げられているのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年05月17日

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも

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マタイによる福音書5章43〜48節

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていた
ことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、
迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となる
ためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の
上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しく
ない者にも、雨を降らして下さるからである。

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、
なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人
でもするではないか。

兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんの
すぐれた事をしているだろうか。そのような
ことは異邦人でもしているではないか。

それだから、あなたがたの天の父が完全で
あられるように、あなたがたも完全な者と
なりなさい。

〜コメント〜
キリスト教は、神の無償の愛を説きますが、
イエスに心を向ける時、不十分な私たちも
神によって導かれて行くのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年04月07日

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる

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イザヤ書41章9〜10節

わたしは地の果から、あなたを連れてき、
地のすみずみから、あなたを召して、
あなたに言った、「あなたは、わたしの
しもべ、わたしは、あなたを選んで捨て
なかった」と。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

〜コメント〜
イザヤ書には力強い言葉が数多く見られます。
神から離れやすい人々に、繰り返し神が共に
いることを伝えています。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年03月10日

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る

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詩篇・第126篇

主がシオンの繁栄を回復されたとき、
われらは夢みる者のようであった。

その時われらの口は笑いで満たされ、
われらの舌は喜びの声で満たされた。
その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と
言った者が、もろもろの国民の中にあった。

主はわれらのために大いなる事をなされたので、
われらは喜んだ。

主よ、どうか、われらの繁栄を、
ネゲブの川のように回復してください。

涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。

種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

〜コメント〜
祖国を追われ捕われの身となったイスラエルの
人々が思いがけず、解放された喜びを歌った詩。
困難な中で涙を流しつつも、前へと歩み続ける
人々をどうかお導き下さい。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2018年02月18日

求めても与えられないのは

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ヤコブの手紙・第4章1〜3節

あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、
どこから起るのか。それはほかではない。
あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からでは
ないか。

あなたがたは、むさぼるが得られない。
そこで人殺しをする。熱望するが手に入れる
ことができない。そこで争い戦う。
あなたがたは、求めないから得られないのだ。

求めても与えられないのは、快楽のために
使おうとして、悪い求め方をするからだ。

〜コメント〜
祈りや願いが叶えられない時こそ、実は悪い
求め方をしていないか、省みたいと思います。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:19| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする