2017年02月16日

ひとりでも悔い改めるなら

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ルカによる福音書・第15章1〜10節

さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こう
として近寄ってきた。

するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、
「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」
と言った。

そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者が
いたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹
を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけ
るまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、

家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたし
と一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけ
ましたから』と言うであろう。

よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとり
でも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九
人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、
天にあるであろう。

また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその
一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて
家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さ
ないであろうか。

そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを
呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。な
くした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。

よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとり
でも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこび
があるであろう」。

〜コメント〜
他の人のことではなく、自分自身の問題として、
イエスは語りかけているのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2017年01月16日

新しい歌を主にむかってうたえ

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詩篇・第96篇

新しい歌を主にむかってうたえ。
全地よ、主にむかってうたえ。

主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。
日ごとにその救を宣べ伝えよ。

もろもろの国の中にその栄光をあらわし、
もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。

主は大いなる神であって、いともほめたたうべきもの、
もろもろの神にまさって恐るべき者である。

もろもろの民のすべての神はむなしい。
しかし主はもろもろの天を造られた。

誉と、威厳とはそのみ前にあり、
力と、うるわしさとはその聖所にある。

もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、
栄光と力とを主に帰せよ。

そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。
供え物を携えてその大庭にきたれ。

聖なる装いをして主を拝め、
全地よ、そのみ前におののけ。

もろもろの国民の中に言え、
「主は王となられた。
世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。

天は喜び、地は楽しみ、
海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、

田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。
そのとき、林のもろもろの木も
主のみ前に喜び歌うであろう。

主は来られる、地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
まことをもってもろもろの民をさばかれる。

〜コメント〜
会津若松教会・主日礼拝「招詞」より(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年12月03日

神はわれらの避け所また力である

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詩篇・第46篇 1節〜11節

神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。

一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。

主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

〜コメント〜
不安で心がいっぱいになる時があります。
詩人は自らの心に語り静めるように、詩を
詠んだのではないでしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年11月27日

信仰は聞くことによる

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ローマ人への手紙 10章1節〜17節

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神に
ささげる祈は、彼らが救われることである。

わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかし
するが、その熱心は深い知識によるものではない。

なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を
立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、
律法の終りとなられたのである。

モーセは、律法による義を行う人は、その義によって
生きる、と書いている。

しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなた
は心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。
それは、キリストを引き降ろすことである。

また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。
それは、キリストを死人の中から引き上げることである。

では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くに
ある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、
わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、
自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせた
と信じるなら、あなたは救われる。

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救わ
れるからである。

聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」
と言っている。

ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の
主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下
さるからである。

なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」
とあるからである。

しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めること
があろうか。聞いたことのない者を、どうして信じること
があろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くこ
とがあろうか。

つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。
「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と
書いてあるとおりである。

しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。
イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信
じましたか」と言っている。

したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことは
キリストの言葉から来るのである。

〜コメント〜
人は行いではなく、信じて義とされ、救われることが、
プロテスタント信仰の核心です。コリント書でパウロは
どんな行いも愛なしには無に等しいと、告げるのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年10月18日

口から出るものが人を汚すのである

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マタイによる福音書・15章11節、17〜20節

口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、
口から出るものが人を汚すのである」。

口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、
そして、外に出て行くことを知らないのか。

しかし、口から出て行くものは、心の中から出て
くるのであって、それが人を汚すのである。

というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、
不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てく
るのであって、

これらのものが人を汚すのである。

〜コメント〜
ユダヤ社会では、今でも食べ物に関するルール
とタブーがありますが、余計な事をつい言って
しまう方が、問題が大きいようです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年10月05日

あなたの信仰があなたを救ったのです

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ルカによる福音書・7章36節〜50節

あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと
申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食
卓に着かれた。

するとそのとき、その町で罪の女であったものが、
パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞
いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、
まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬ
ぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中
で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自
分にさわっている女がだれだか、どんな女かわか
るはずだ。それは罪の女なのだから」。

そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、
あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっし
ゃってください」と言った。

イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人
がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひと
りは五十デナリを借りていた。

ところが、返すことができなかったので、彼はふ
たり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、ど
ちらが彼を多く愛するだろうか」。

シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらった
ほうだと思います」。イエスが言われた、「あな
たの判断は正しい」。

それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、
「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはい
ってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかっ
た。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、
髪の毛でふいてくれた。

あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼
女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に
接吻をしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、
彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。

それであなたに言うが、この女は多く愛したから、
その多くの罪はゆるされているのである。少しだ
けゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。

そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言わ
れた。

すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、
「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、
何者だろう」。

しかし、イエスは女にむかって言われた、「あな
たの信仰があなたを救ったのです。安心して行き
なさい」。

〜コメント〜
キリスト教とは、愛と赦しによる、救いの宗教かと
思うのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年09月20日

あとの者は先になり、先の者はあとになる

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マタイによる福音書・第20章1節〜16節

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を
雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くよう
なものである。

彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼ら
をぶどう園に送った。

それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何
もせずに立っているのを見た。

そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶど
う園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。

そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時
ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。

五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見た
ので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中
ここに立っていたのか』。

彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』
と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、
ぶどう園に行きなさい』。

さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言っ
た、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた
人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるよう
に、賃銀を払ってやりなさい』。

そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一
デナリずつもらった。

ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだ
ろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらった
だけであった。

もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして

言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかっ
たのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱した
わたしたちと同じ扱いをなさいました』。

そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わた
しはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわ
たしと一デナリの約束をしたではないか。

自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この
最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえで
はないか。それともわたしが気前よくしているので、
ねたましく思うのか』。

このように、あとの者は先になり、先の者はあとにな
るであろう」。

〜コメント〜
神の呼びかけが、いつ起こるかは人それぞれで
すが、呼びかけに応える時、同じ恵みが等しく
与えられるのです。

*解説*
紀元前20世紀という、遥か昔にアブラハムによって
神と契約を結んだユダヤ人よりも、後からイエスを
信じた異邦人の方が、同じ恵みに先に与るという、
たとえ話のようです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年06月28日

主のいつくしみは絶えることがなく

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哀歌・3章17節〜36節

わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。

そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、
わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。

どうか、わが悩みと苦しみ、
にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。

わが魂は絶えずこれを思って、
わがうちにうなだれる。

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。
それゆえ、わたしは望みをいだく。

主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。

これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、
それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

主がこれを負わせられるとき、
ひとりすわって黙しているがよい。

口をちりにつけよ、
あるいはなお望みがあるであろう。

おのれを撃つ者にほおを向け、
満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。

主はとこしえにこのような人を
捨てられないからである。

彼は悩みを与えられるが、
そのいつくしみが豊かなので、
またあわれみをたれられる。

彼は心から人の子を
苦しめ悩ますことをされないからである。

地のすべての捕われ人を足の下に踏みにじり、

いと高き者の前に人の公義をまげ、

人の訴えをくつがえすことは、
主のよみせられないことである。

〜コメント〜
哀歌では、人は讃美だけでなく、絶望をも神に
捧げ得るのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年05月07日

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず

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イザヤ書・第55章3節〜13節

耳を傾け、わたしにきて聞け。
そうすれば、あなたがたは生きることができる。
わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、
ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。

見よ、わたしは彼を立てて、
もろもろの民への証人とし、
また、もろもろの民の君とし、命令する者とした。

見よ、あなたは知らない国民を招く、
あなたを知らない国民は
あなたのもとに走ってくる。
これはあなたの神、主、
イスラエルの聖者のゆえであり、
主があなたに光栄を与えられたからである。

あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。

悪しき者はその道を捨て、
正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
そうすれば、主は彼にあわれみを施される。
われわれの神に帰れ、
主は豊かにゆるしを与えられる。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。

天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種まく者に種を与え、
食べる者にかてを与える。

このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしの喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す。

あなたがたは喜びをもって出てきて、
安らかに導かれて行く。
山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、
野にある木はみな手を打つ。

いとすぎは、いばらに代って生え、
ミルトスの木は、おどろに代って生える。
これは主の記念となり、
また、とこしえのしるしとなって、
絶えることはない。

〜コメント〜
預言者イザヤは、キリストが現れること、
神に信頼することを、多くの言葉で語って
います。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年04月10日

あなたのもろもろのみ思いは

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詩篇・第139篇17節〜18節

神よ、あなたのもろもろのみ思いは、
なんとわたしに尊いことでしょう。
その全体はなんと広大なことでしょう。

わたしがこれを数えようとすれば、
その数は砂よりも多い。
わたしが目ざめるとき、
わたしはなおあなたと共にいます。

〜コメント〜
前にこちらのブログ記事で紹介した聖書
箇所。人間には計り知れない世界がある
ことを告げています(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:25| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする