2016年12月03日

神はわれらの避け所また力である

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詩篇・第46篇 1節〜11節

神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。

一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。

主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

〜コメント〜
不安で心がいっぱいになる時があります。
詩人は自らの心に語り静めるように、詩を
詠んだのではないでしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年11月27日

信仰は聞くことによる

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ローマ人への手紙 10章1節〜17節

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神に
ささげる祈は、彼らが救われることである。

わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかし
するが、その熱心は深い知識によるものではない。

なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を
立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、
律法の終りとなられたのである。

モーセは、律法による義を行う人は、その義によって
生きる、と書いている。

しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなた
は心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。
それは、キリストを引き降ろすことである。

また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。
それは、キリストを死人の中から引き上げることである。

では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くに
ある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、
わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、
自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせた
と信じるなら、あなたは救われる。

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救わ
れるからである。

聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」
と言っている。

ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の
主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下
さるからである。

なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」
とあるからである。

しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めること
があろうか。聞いたことのない者を、どうして信じること
があろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くこ
とがあろうか。

つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。
「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と
書いてあるとおりである。

しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。
イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信
じましたか」と言っている。

したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことは
キリストの言葉から来るのである。

〜コメント〜
人は行いではなく、信じて義とされ、救われることが、
プロテスタント信仰の核心です。コリント書でパウロは
どんな行いも愛なしには無に等しいと、告げるのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年10月18日

口から出るものが人を汚すのである

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マタイによる福音書・15章11節、17〜20節

口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、
口から出るものが人を汚すのである」。

口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、
そして、外に出て行くことを知らないのか。

しかし、口から出て行くものは、心の中から出て
くるのであって、それが人を汚すのである。

というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、
不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てく
るのであって、

これらのものが人を汚すのである。

〜コメント〜
ユダヤ社会では、今でも食べ物に関するルール
とタブーがありますが、余計な事をつい言って
しまう方が、問題が大きいようです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年10月05日

あなたの信仰があなたを救ったのです

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ルカによる福音書・7章36節〜50節

あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと
申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食
卓に着かれた。

するとそのとき、その町で罪の女であったものが、
パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞
いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、
まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬ
ぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中
で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自
分にさわっている女がだれだか、どんな女かわか
るはずだ。それは罪の女なのだから」。

そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、
あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっし
ゃってください」と言った。

イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人
がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひと
りは五十デナリを借りていた。

ところが、返すことができなかったので、彼はふ
たり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、ど
ちらが彼を多く愛するだろうか」。

シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらった
ほうだと思います」。イエスが言われた、「あな
たの判断は正しい」。

それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、
「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはい
ってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかっ
た。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、
髪の毛でふいてくれた。

あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼
女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に
接吻をしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、
彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。

それであなたに言うが、この女は多く愛したから、
その多くの罪はゆるされているのである。少しだ
けゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。

そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言わ
れた。

すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、
「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、
何者だろう」。

しかし、イエスは女にむかって言われた、「あな
たの信仰があなたを救ったのです。安心して行き
なさい」。

〜コメント〜
キリスト教とは、愛と赦しによる、救いの宗教かと
思うのです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年09月20日

あとの者は先になり、先の者はあとになる

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マタイによる福音書・第20章1節〜16節

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を
雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くよう
なものである。

彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼ら
をぶどう園に送った。

それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何
もせずに立っているのを見た。

そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶど
う園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。

そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時
ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。

五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見た
ので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中
ここに立っていたのか』。

彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』
と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、
ぶどう園に行きなさい』。

さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言っ
た、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた
人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるよう
に、賃銀を払ってやりなさい』。

そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一
デナリずつもらった。

ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだ
ろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらった
だけであった。

もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして

言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかっ
たのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱した
わたしたちと同じ扱いをなさいました』。

そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わた
しはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわ
たしと一デナリの約束をしたではないか。

自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この
最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえで
はないか。それともわたしが気前よくしているので、
ねたましく思うのか』。

このように、あとの者は先になり、先の者はあとにな
るであろう」。

〜コメント〜
神の呼びかけが、いつ起こるかは人それぞれで
すが、呼びかけに応える時、同じ恵みが等しく
与えられるのです。

*解説*
紀元前20世紀という、遥か昔にアブラハムによって
神と契約を結んだユダヤ人よりも、後からイエスを
信じた異邦人の方が、同じ恵みに先に与るという、
たとえ話のようです。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年06月28日

主のいつくしみは絶えることがなく

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哀歌・3章17節〜36節

わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。

そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、
わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。

どうか、わが悩みと苦しみ、
にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。

わが魂は絶えずこれを思って、
わがうちにうなだれる。

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。
それゆえ、わたしは望みをいだく。

主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。

これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、
それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

主がこれを負わせられるとき、
ひとりすわって黙しているがよい。

口をちりにつけよ、
あるいはなお望みがあるであろう。

おのれを撃つ者にほおを向け、
満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。

主はとこしえにこのような人を
捨てられないからである。

彼は悩みを与えられるが、
そのいつくしみが豊かなので、
またあわれみをたれられる。

彼は心から人の子を
苦しめ悩ますことをされないからである。

地のすべての捕われ人を足の下に踏みにじり、

いと高き者の前に人の公義をまげ、

人の訴えをくつがえすことは、
主のよみせられないことである。

〜コメント〜
哀歌では、人は讃美だけでなく、絶望をも神に
捧げ得るのです。(信徒S)
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2016年05月07日

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず

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イザヤ書・第55章3節〜13節

耳を傾け、わたしにきて聞け。
そうすれば、あなたがたは生きることができる。
わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、
ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。

見よ、わたしは彼を立てて、
もろもろの民への証人とし、
また、もろもろの民の君とし、命令する者とした。

見よ、あなたは知らない国民を招く、
あなたを知らない国民は
あなたのもとに走ってくる。
これはあなたの神、主、
イスラエルの聖者のゆえであり、
主があなたに光栄を与えられたからである。

あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。

悪しき者はその道を捨て、
正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
そうすれば、主は彼にあわれみを施される。
われわれの神に帰れ、
主は豊かにゆるしを与えられる。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。

天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種まく者に種を与え、
食べる者にかてを与える。

このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしの喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す。

あなたがたは喜びをもって出てきて、
安らかに導かれて行く。
山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、
野にある木はみな手を打つ。

いとすぎは、いばらに代って生え、
ミルトスの木は、おどろに代って生える。
これは主の記念となり、
また、とこしえのしるしとなって、
絶えることはない。

〜コメント〜
預言者イザヤは、キリストが現れること、
神に信頼することを、多くの言葉で語って
います。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年04月10日

あなたのもろもろのみ思いは

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詩篇・第139篇17節〜18節

神よ、あなたのもろもろのみ思いは、
なんとわたしに尊いことでしょう。
その全体はなんと広大なことでしょう。

わたしがこれを数えようとすれば、
その数は砂よりも多い。
わたしが目ざめるとき、
わたしはなおあなたと共にいます。

〜コメント〜
前にこちらのブログ記事で紹介した聖書
箇所。人間には計り知れない世界がある
ことを告げています(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年04月06日

人はパンだけでは生きず

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申命記・8章1節〜18節

わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あ
なたがたは守って行わなければならない。そうすれ
ばあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、
主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、そ
れを自分のものとすることができるであろう。

あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを
導かれたそのすべての道を覚えなければならない。
それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの
心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どう
かを知るためであった。

それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あ
なたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマ
ナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは
生きず、人は主の口から出るすべてのことばによっ
て生きることをあなたに知らせるためであった。

この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あな
たの足は、はれなかった。

あなたはまた人がその子を訓練するように、あなた
の神、主もあなたを訓練されることを心にとめなけ
ればならない。

あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼
を恐れなければならない。

それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れ
られるからである。そこは谷にも山にもわき出る水
の流れ、泉、および淵のある地、

小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、
油のオリブの木、および蜜のある地、

あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏し
いこともない地である。その地の石は鉄であって、
その山からは銅を掘り取ることができる。

あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地
を賜わったことを感謝するであろう。

あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、お
きてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れる
ことのないように慎まなければならない。

あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、

また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し
加わるとき、

おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるで
あろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から
導き出し、

あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわ
ち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた
地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、

先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べ
させられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試み
て、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、
わたしはこの富を得た』と言ってはならない。

あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。
主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のよう
に行うために、あなたに富を得る力を与えられるか
らである。

〜コメント〜
パンはこの世的な良きもの全般。人はパンと生きる
意味の両方があって、真に生きるのだと思います。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2016年02月18日

求めよ、さらば与えられん

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マタイによる福音書 7章7節〜11節

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく
者はあけてもらえるからである。

あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、
石を与える者があろうか。

魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

このように、あなたがたは悪い者であっても、
自分の子供には、良い贈り物をすることを知っている
とすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

〜コメント〜
教会に来る以前に、文語訳で覚えていた言葉。
一歩踏み出す勇気を与えられます。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:43| みことばのフォト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする