2016年05月31日

メメント・モリ〜人生の旅

かつて中世の修道院では、お互いに「メメント・モリ」
(死を覚えよ)と言って毎朝挨拶したそうです。朝から互
いに「死を覚えよ」とはけっこうヘビーですよね。

普段、人は健康な時には死を考えずに過ごしています。努め
て死を考えないから心穏やかに過ごせているとも言えます。
ですが、一日の始まりや終わりに生や死を意識したり、一日
を省みることは全く不要でしょうか?

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「メメント・モリ」は、もし今日があなたの人生最後の日
だとしたら、一体どう過ごすかを考えるきっかけになると
思います。今日で二度と会えなくなる人がいるとしたら、
あなたはどんな態度を示すでしょうか?自分のことを忘れ
ずに良く覚えて欲しいと願うかもしれません。少なくとも
ケンカ別れの様にはなりたくないと願うことでしょう。

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たとえ死が迫っていても、あなたが接する身近な人々
(家族や同僚、クラスメート、友人・知人、行きつけの
お店の店員さんなど)から、変わらず親切にされたなら、
おそらく感謝の言葉を口にすることでしょう。ですが、
何も死の直前まで待つ必要はないのです。普段から心を
開いて「ありがとう」と言えたなら、毎日を悔いなく生
きられるように思います。

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死(自分の限界であり、生命の限界)を考えることは、
結局人は何のために生まれ何のために死んで行くのか、
生を考えることになる筈です。その答えは人それぞれ
でも、何か価値あることのために人生はあったと感じ
たいものです。「こうしたい」「こうありたい」と願う
自己実現の欲求こそ、人間にとって最も強い生きる意味
だからです。

キリスト教では神を愛すること、それと同様に自分自身
を愛し隣人を愛することに大きな意味があると教えます。
ですが、その前提にはあなたが自分や人を愛するよりも、
まず先に『神があなたを愛している』ことがあります。
また、キリスト教は死の先に続くものがあるとします。
「愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はす
たれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。……いつ
までも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つで
ある。このうちで最も大いなるものは、愛である。」
(コリント人への第一の手紙13章8,13節)

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「メメント・モリ」は単に自分の死だけでなく、キリスト
の愛による十字架の死(神との関係修復、救い)を含んで
いるように感じます。すべての人生の旅の終わり(死)を
超えて続く神の愛、これこそがキリスト教会が約二千年間
人々に伝えてきた最大のメッセージかと思うのです。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:32| 右斜め上メメント・モリ〜人生の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする