2016年10月15日

会津のキリシタンについて(信徒S)

戦国時代(1590年)、会津の領主となったキリシタン
大名・蒲生氏郷によって、会津地域にキリスト教が
広められます。キリシタンは多い時で若松の人口の
約3割を占めたといいます。また、猪苗代には神学
校まであったようです。キリシタン大名の城の石垣
には、十字架が刻まれているとも言われ、鶴ヶ城の
石垣にも十字を見ることが出来ます。

ishigaki.jpg
(クリックすると大きい画像で確認できます。
 石垣は「御三階跡」を東に進んだ場所です。)

江戸時代、キリスト教を禁ずる禁教令(1614年)が
出されると、全国的にキリスト教への迫害と弾圧が
強まります。幕府は教会の一切を破壊し、宣教師を
国外追放としました。また、キリスト教を捨て改宗
しない者を次々と拷問し、処刑しました。改宗後も
その子孫を何代にも渡って監視し、差別を加えたの
です。切支丹禁制の高札(キリスト教を禁じ、キリ
シタンを見つけた者に褒美を与えるという公示板)
は、明治の初め頃まで大通りに掲げられました。

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(市内神指町黒川字薬師川原にある、キリシタン塚。
 カトリックの人々によって、今も守られています。)

禁教時、教会だけでなく、聖書や十字架など信仰を
伝える品々を失いました。何よりも専門に教える人
がいませんでした。それでもなお、キリスト教を信
じる人々がいました。「隠れキリシタン」です。見
つかれば拷問や見せしめに処刑される時代です。隠
れキリシタンは仏像を拝むふりをして、仏像に偽装
した十字架や聖母子像(マリアとイエス)を拝んで
いたようです。今でも会津各地に遺跡が残されてい
ます。(南会津町(旧・田島町)福米沢地区・常楽
院にあるマリア観音は有名です。)

こうした徹底したキリスト教排除は、明治時代まで
約250年以上続きました。その長い年月の中で、隠れ
キリシタンの信仰は、一部の地域(長崎など)を除
き、土着の宗教や仏教へ変わってしまったようです。
明治6年(1873年)にキリスト教の禁制が解かれると、
教会が全国各地に再び建ち始めます。1891年には、
会津若松最初のプロテスタント教会(会津若松教会)
が建つのです。キリシタンの歴史から、信教の自由
と信仰を伝えることの「尊さ」を感じます。

kawara.jpg
(旧・会津若松教会堂に使われた瓦)

参考文献
「会津のキリシタン」 アーミン・H・クレーラ
 /エヴェリン・M・クレーラ 著

〜番外編〜
蒲生氏郷や高山右近らキリシタン大名は、宣教師から
食文化も教えられ、当時、タブーとされていた牛肉を
食べていたようです。江戸時代にはキリスト教と共に
肉食も禁止されますが、明治時代に共に解禁されます。
教会でバーベキューを行うことがありますが、コレは
キリスト教と肉食の解禁を祝う行事?ではなく、純粋
に親睦会のようですね!

barbecue.jpg
(食文化もまるで違う異国の地で、宣教師らは
 肉料理に、遠い祖国を想ったでしょうか……)
posted by 信徒S at 20:39| 会津のキリシタンについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする