2017年08月05日

「快楽の園」【ヒエロニムス・ボス】1504年

Le Jardin des délices.png
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ヒエロニムス・ボスの名前は知らなくても、
下の不気味な顔を美術や歴史の教科書で見た
という人は結構いるのではないでしょうか?

Le Jardin des délices2.jpg
(右側:地獄図の中央に描かれています!)

ルネサンス期の奇才ヒエロニムス・ボスは聖書
を題材にしながら、左側のエデンの園(天国)
にはアダムとエバ以外にも、肉食動物が獲物を
捕まえていたり、聖書が示す天国よりも殺伐な
感じを受けます。中央(快楽)は現世でしょう
か?右側(地獄)では不気味な生物がうごめく
怪奇の世界になっています。

教会の権威が強く、宗教裁判も盛んに行われて
いた中世ヨーロッパですが、こうした大胆かつ
緻密な絵画は、当時の人々にも大変人気だった
ようです。

あまりに独自過ぎるため、宗教画としては異端
?かもしれませんが、得体の知れないものを見
たい(怖いもの見たさ)の感覚は、時代を超え
た人間の本性かもしれませんね(信徒S)


(参考)
創世記第2章7節〜25節

主なる神は土のちりで人を造り、命の息を
その鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた
者となった。

主なる神は東のかた、エデンに一つの園を
設けて、その造った人をそこに置かれた。

また主なる神は、見て美しく、食べるに良い
すべての木を土からはえさせ、更に園の中央
に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。

また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、
そこから分れて四つの川となった。

その第一の名はピソンといい、金のあるハビラ
の全地をめぐるもので、

その地の金は良く、またそこはブドラクと、
しまめのうとを産した。

第二の川の名はギホンといい、クシの全地を
めぐるもの。

第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの
東を流れるもの。第四の川はユフラテである。

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなた
は園のどの木からでも心のままに取って食べて
よろしい。

しかし善悪を知る木からは取って食べてはなら
ない。それを取って食べると、きっと死ぬで
あろう」。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいる
のは良くない。彼のために、ふさわしい助け手
を造ろう」。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべて
の鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人が
すべて生き物に与える名は、その名となるので
あった。

それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野の
すべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい
助け手が見つからなかった。

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、
そのあばら骨の一つを取って、その所を肉で
ふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女
を造り、人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。「これこそ、ついに
わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取った
ものだから、これを女と名づけよう」。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、
一体となるのである。

人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ず
かしいとは思わなかった。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:19| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

「出現」【ギュスターヴ・モロー】1876年

The_Apparition.jpg
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衝撃的な宗教画ですね!これはイエスから
「最も偉大な人物」と称された洗礼者ヨハネ
の最期を独自の解釈で描いた作品です。聖書
では、少女へ踊りの褒美として、はねられた
首が盆にのせて運ばれて来たといいます。

預言者や神に仕える正しい人が殺されてしま
うことは聖書でよくある話!ですが、褒美と
しての殺害は異例です。この衝撃の展開は多
くの芸術家を魅了し、絵画や文学で描かれて
来ました。

フランス象徴主義の画家・モローの作品には、
切られたヨハネの首が宙に現れ出る!という
驚愕の光景に対して、少女が真っすぐに対峙
しています。ヨハネと少女は一体何を考えて
いるのでしょうか。……観る者の想像をかき
たてる面白さがあります。また、聖書の記述
から自由になり、大胆な解釈で描かれた近代
的な作品とも言えます。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 6章14〜29節

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王
の耳にはいった。ある人々は「バプテスマの
ヨハネが、死人の中からよみがえってきたの
だ。それで、あのような力が彼のうちに働い
ているのだ」と言い、

他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他
の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と
言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたし
が首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」
と言った。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデ
ヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、
ヨハネを捕えて獄につないだ。

それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめ
とるのは、よろしくない」と言ったからであ
る。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そ
うと思っていたが、できないでいた。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人
であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を
加え、またその教を聞いて非常に悩みながら
も、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の
誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立
った人たちを招いて宴会を催したが、

そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞
をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ば
せた。そこで王はこの少女に「ほしいものは
なんでも言いなさい。あなたにあげるから」
と言い、

さらに「ほしければ、この国の半分でもあげ
よう」と誓って言った。

そこで少女は座をはずして、母に「何をお願
いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテ
スマのヨハネの首を」と答えた。

するとすぐ、少女は急いで王のところに行っ
て願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネ
の首を盆にのせて、それをいただきとうござ
います」。

王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、
また列座の人たちの手前、少女の願いを退け
ることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネ
の首を持って来るように命じた。衛兵は出て
行き、獄中でヨハネの首を切り、

盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそ
れを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死
体を引き取りにきて、墓に納めた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:31| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

「洗礼者ヨハネ」【レオナルド・ダ・ヴィンチ】1516年

Saint_John_the_Baptist.jpg
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大胆不敵なこの絵は、誰もが知る天才画家、
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「洗礼者
ヨハネ」です!。最晩年の作品で、一説に
はレオナルド・ダ・ヴィンチの若かりし頃の
姿を描いているとも言われています。

洗礼者ヨハネは、イエスより半年早く生まれ、
人々に悔い改めと救い主の到来を告げた預言
者です。絵画ではラクダの毛衣を身にまとい、
十字架の付いた杖を持つ姿で描かれています。
何やら挑発的な?指先は神の在処を指している
そうです。(ここでは天でしょうか?

イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネは、その後、
悲劇に見舞われます。次回、絵画で紹介したい
と思います。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 1章2節〜11節

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使
をあなたの先につかわし、あなたの道を整え
させるであろう。

荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を
備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と
書いてあるように、

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の
ゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣
べ伝えていた。

そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民
とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、
自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから
バプテスマを受けた。

このヨハネは、らくだの毛ごろもを身に
まとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜と
を食物としていた。

彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力の
あるかたが、あとからおいでになる。わたし
はかがんで、そのくつのひもを解く値うちも
ない。

わたしは水でバプテスマを授けたが、この
かたは、聖霊によってバプテスマをお授け
になるであろう」。

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから
出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプ
テスマをお受けになった。

そして、水の中から上がられるとすぐ、天
が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って
来るのを、ごらんになった。

すると天から声があった、「あなたはわたし
の愛する子、わたしの心にかなう者である」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 08:08| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

「悔悛するマグダラのマリア」【ドメニコ・ティントレット】1602年

Penitent_Magdalene.jpg
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この艶めかしい女性を描いた絵も、実は宗教画
なんです!彼女はイエスに7つの悪霊を追い出
され(ルカ8:2)、改心したマグダラのマリア
です。その後、イエスの弟子となり、イエスが
十字架につけられた時も、墓に収められた時も、
側を離れることはありませんでした。

イエスの母マリアが気高く神々しい姿で描かれ
るのに対し、元・悪女?なマグダラのマリアは
人間的な魅力に溢れています。罪赦され、神と
共に生きる喜び、生を肯定する意志さえ感じさ
せます。

マグダラのマリアの側にドクロがありますが、
イエスが十字架につけられた場所は「ゴルゴタ
の丘」と呼ばれており、ゴルゴタは「ドクロ」
の意味です。イエスを最後まで見届けたマグダ
ラのマリアを示すシンボルとして一緒に描かれ
ることが多いです。

……もしもイエスが磔にされたのがゴルゴタの
丘ではなく、例えば「ミカンの花咲く」丘なら、
もっと可愛らしいシンボルだったかもしれませ
んね!(信徒S)

※ドメニコ・ティントレット(1560-1635)
ルネサンス期・イタリアで活躍した画家。父
ティントレットは巨匠と呼ばれています。

(参考)
ヨハネによる福音書・第20章1〜18節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、
マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとり
のけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛して
おられた、もうひとりの弟子のところへ行って、
彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去り
ました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓
へむかって行った。

ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの
弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着
き、

そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置い
てあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。
彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばには
なくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはい
ってきて、これを見て信じた。

しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえ
るべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなか
った。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って
行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そ
して泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のお
かれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは
足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いてい
るのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だ
れかが、わたしの主を取り去りました。そして、
どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエス
が立っておられるのを見た。しかし、それがイエ
スであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いている
のか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その
人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、
あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、
どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかた
を引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤ
はふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラ
ボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわっては
いけない。わたしは、まだ父のみもとに上ってい
ないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行
って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの
父であって、わたしの神またあなたがたの神であ
られるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝
えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、
自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれの
ことを自分に仰せになったことを、報告した。

〜コメント〜
聖書には多くのマリアが登場しますが、一途に
主イエスを愛した彼女もまた、聖女なのです。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:12| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

「受胎告知」【エル・グレコ】1603年

El_GRECO.jpg
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実にマンガチック?な画風ですね!スペインを代表
する画家、エル・グレコの作品は、手足や人物が引
き伸ばされたり、独自の色使いで現実よりも印象を
重視した表現が見られます。

天使ガブリエルが処女マリアに神の御子を身籠った
ことを告げる有名な場面です。天使が手に持ってい
る百合は純潔を表しており、中央の鳩は、天からの
聖霊のようです。

有名な西洋絵画の多くは海外にありますが、これは
何と岡山県の大原美術館に展示されているようです!
一度行って見たいですね。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書1章26節〜38節

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされ
て、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人の
いいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女
よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい
さつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あな
たは神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。
その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえ
られるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデ
の王座をお与えになり、

彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限
りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな
事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありま
せんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと
高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、
生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえ
られるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿してい
ます。不妊の女といわれていたのに、はや六か月に
なっています。

神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしため
です。お言葉どおりこの身に成りますように」。
そして御使は彼女から離れて行った。

〜コメント〜
運命を受け入れ、神に従って生きること(信仰)を
告白したマリアに、敬虔さを見ることが出来ます。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 11:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

「キリストの変容」【ラファエロ・サンティ】1520年

Transfiguration_Raphael.jpg
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ルネサンスの三大巨匠の一人、ラファエロの作品。
人々の衣装がとてもカラフルで、楽しいですね!

山上で姿が白く変わったイエスと、その両脇には
イスラエルの歴史上の偉人であるモーセとエリアが
現れている聖書の場面です。右下の方には霊にとり
つかれた少年の姿も見えます。

ルネサンスの人間の自由な精神や宗教改革により、
ヨーロッパの近代が始まったとされています。絵
画でも、イエスだけでなく一人一人が個性的に描
かれています。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書9章28節〜43節

これらのことを話された後、八日ほどたってから、
イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈る
ために山に登られた。

祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣が
まばゆいほどに白く輝いた。

すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。
それはモーセとエリヤであったが、

栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げよう
とする最後のことについて話していたのである。

ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、
目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立って
いるふたりの人とを見た。

このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、
ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、
イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいる
のは、すばらしいことです。それで、わたしたちは
小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、
一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

彼がこう言っている間に、雲がわき起って彼らを
おおいはじめた。そしてその雲に囲まれたとき、
彼らは恐れた。

すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、
わたしの選んだ者である。これに聞け」。

そして声が止んだとき、イエスがひとりだけに
なっておられた。弟子たちは沈黙を守って、自分
たちが見たことについては、そのころだれにも話
さなかった。

翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆が
イエスを出迎えた。

すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、
「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやって
ください。この子はわたしのひとりむすこですが、

霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。
それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、
彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。

それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださる
ように願いましたが、できませんでした」。

イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰
な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなた
がたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢が
できようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。

ところが、その子がイエスのところに来る時にも、
悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスは
この汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、
父親にお渡しになった。

人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする