2019年01月13日

「聖マタイの召命」【ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ】1600年

The_Calling_of_Saint_Matthew.jpg
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この絵画は、取税人だったマタイに向かって、
弟子となるよう、イエスが声をかけた場面を
描いています。

一番右端の頭上に光の環がある人物がイエス
です。光と闇のコントラストの中で、指指す
ポーズがドラマチックですね!精悍な顔立ち
のイエス、イケメンすぎでしょ

この絵画では、誰がマタイなのか、長い間、
議論されていますが、一番左端でお金を数え
ている青年が取税人・マタイではないかとも
言われています。

……イエスの呼びかけを聞いた瞬間、青年は
雷に打たれた様な衝撃を受け、そのまま立ち
上がると、後ろを振り返ることなく、イエス
の後に従い、風のように去って行く……そん
な場面が妄想?出来ますね!(信徒S)


(参考)
マタイによる福音書・9章9〜13節

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイ
という人が収税所にすわっているのを見て、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。
すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから、イエスが家で食事の席について
おられた時のことである。多くの取税人や
罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共に
その席に着いていた。

パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに
言った、「なぜ、あなたがたの先生は、
取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な
人には医者はいらない。いるのは病人である。

『わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない』とはどういう意味か、
学んできなさい。わたしがきたのは、義人を
招くためではなく、罪人を招くためである」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:28| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

「復活」【マティアス・グリューネヴァルト】1515年

Mathis_Gothart_1.jpg
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やや人間離れした?神々しいまでの復活のイエス
です。まるでトレーディングカードの図柄にも
なりそうな色彩と場面……最強です今でも十分
インパクトを与えるこの絵画が、500年前に描
かれたことにも驚かされます。

元は「イーゼンハイム祭壇画」という11枚の
パネルの1枚で、修道院にある病院内に飾られて
いたようです。他のパネルには磔にされるイエス
が、痛々しい無惨な姿で描かれています。

Mathis_Gothart_2.jpg

当時、病気に悩まされた人々も、十字架上で苦し
みを受けるイエスの姿に、自分自身を重ねて見て
いたのではないでしょうか。それだけに、死を
乗り越えて復活した神の圧倒的なパワーを、画家
は鮮やかに描いたように思うのです。(信徒S)

(参考)
マタイによる福音書・第28章

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、
マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見に
きた。

すると、大きな地震が起った。それは主の使が
天から下って、そこにきて石をわきへころがし、
その上にすわったからである。

その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪の
ように真白であった。

見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震え
あがって、死人のようになった。

この御使は女たちにむかって言った、「恐れる
ことはない。あなたがたが十字架におかかりに
なったイエスを捜していることは、わたしに
わかっているが、

もうここにはおられない。かねて言われたとおり
に、よみがえられたのである。さあ、イエスが納
められていた場所をごらんなさい。

そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさ
い、『イエスは死人の中からよみがえられた。
見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、
これだけ言っておく」。

そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓
を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行
った。

すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」
と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足を
いだいて拝した。

そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れる
ことはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、
そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

女たちが行っている間に、番人のうちのある人々
が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに
話した。

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、
兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、

「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている
間に彼を盗んだ』と言え。

万一このことが総督の耳にはいっても、われわれ
が総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からない
ようにしよう」。

そこで、彼らは金を受け取って、教えられた
とおりにした。そしてこの話は、今日に至るまで
ユダヤ人の間にひろまっている。

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、
イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。

そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者
もいた。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、
天においても地においても、いっさいの権威を授け
られた。

それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を
弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らに
バプテスマを施し、

あなたがたに命じておいたいっさいのことを守る
ように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。
ラベル:会津若松教会
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2018年09月19日

「ヤコブの夢」【ウィリアム・ブレイク】1805年

jacobsladder.jpg
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とても神秘的な雰囲気の絵画ですね!それも
そのはず、これはヤコブが見た夢の絵だから
です。ヤコブはイサクの子で、アブラハムの
孫にあたります。この一族三代に渡る信仰
からイスラエルの民は唯一の神を何千年にも
渡り、信じる様になるのです。

絵画には、様々な事情から命を狙われ、故郷
を離れて眠るヤコブと、地上と天上を結ぶ
梯子を上り下りする神のみ使いの姿が描かれ
ています。そんな不安の中で「神が共にいる」
という善き知らせを受け取るのです。
(信徒S)

(参考)
創世記28章10〜22節

さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ
向かったが、

一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこ
に一夜を過ごし、その所の石を取ってまくら
とし、そこに伏して寝た。

時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に
立っていて、その頂は天に達し、神の使たち
がそれを上り下りしているのを見た。

そして主は彼のそばに立って言われた、
「わたしはあなたの父アブラハムの神、
イサクの神、主である。あなたが伏している
地を、あなたと子孫とに与えよう。

あなたの子孫は地のちりのように多くなって、
西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなた
と子孫とによって祝福をうけるであろう。

わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ
行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連
れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨
てず、あなたに語った事を行うであろう」。

ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに
主がこの所におられるのに、わたしは知らな
かった」。

そして彼は恐れて言った、「これはなんと
いう恐るべき所だろう。これは神の家である。
これは天の門だ」。

ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた
石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油
を注いで、

その所の名をベテルと名づけた。その町の名
は初めはルズといった。

ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたし
と共にいまし、わたしの行くこの道でわたし
を守り、食べるパンと着る着物を賜い、

安らかに父の家に帰らせてくださるなら、
主をわたしの神といたしましょう。

またわたしが柱に立てたこの石を神の家と
いたしましょう。そしてあなたがくださる
すべての物の十分の一を、わたしは必ず
あなたにささげます」。
ラベル:会津若松教会
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2018年06月02日

「晩鐘」【ジャン=フランソワ・ミレー】1859年

bansho.jpg
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有名な絵画なので、誰もが目にしたことがあ
るかと思います。フランスの画家ミレーは、
他にも貧しい農民の姿を描いた「落穂拾い」*
などを残しています。

「晩鐘」は、夕方6時に鳴らされる教会の鐘
の音に合わせて祈りを捧げる、夫婦の敬虔な
姿が印象的です。……ここには貧しい農民の
主食であるジャガイモが描かれており、夫婦
の身なりからも生活は決して楽ではないこと
が見てとれます。

貧しい暮らしの中で祈る姿に、時代や民族を
超えた、何か普遍的な感情を覚えるのは、私
だけではないでしょう。生物の中で人間だけ
が祈りますが、祈りとは、生かされているこ
とへの感謝と願いの現れであり、現実を超え
て明日へと続くものなのです。(信徒S)

(参考)
*「落穂拾い」は次の旧約聖書の教えが、
農民の暮らしの中で、慣習的に行われて
いた光景を描いたとされています。

あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、
その刈入れにあたって、畑のすみずみまで
刈りつくしてはならない。またあなたの
穀物の落ち穂を拾ってはならない。
貧しい者と寄留者のために、それを残して
おかなければならない。わたしはあなた
がたの神、主である。(レビ記23:22)


otibohiroi.jpg
ラベル:会津若松教会
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2017年08月05日

「快楽の園」【ヒエロニムス・ボス】1504年

Le Jardin des délices.png
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ヒエロニムス・ボスの名前は知らなくても、
下の不気味な顔を美術や歴史の教科書で見た
という人は結構いるのではないでしょうか?

Le Jardin des délices2.jpg
(右側:地獄図の中央に描かれています!)

ルネサンス期の奇才ヒエロニムス・ボスは聖書
を題材にしながら、左側のエデンの園(天国)
にはアダムとエバ以外にも、肉食動物が獲物を
捕まえていたり、聖書が示す天国よりも殺伐な
感じを受けます。中央(快楽)は現世でしょう
か?右側(地獄)では不気味な生物がうごめく
怪奇の世界になっています。

教会の権威が強く、宗教裁判も盛んに行われて
いた中世ヨーロッパですが、こうした大胆かつ
緻密な絵画は、当時の人々にも大変人気だった
ようです。

あまりに独自過ぎるため、宗教画としては異端
?かもしれませんが、得体の知れないものを見
たい(怖いもの見たさ)の感覚は、時代を超え
た人間の本性かもしれませんね(信徒S)


(参考)
創世記第2章7節〜25節

主なる神は土のちりで人を造り、命の息を
その鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた
者となった。

主なる神は東のかた、エデンに一つの園を
設けて、その造った人をそこに置かれた。

また主なる神は、見て美しく、食べるに良い
すべての木を土からはえさせ、更に園の中央
に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。

また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、
そこから分れて四つの川となった。

その第一の名はピソンといい、金のあるハビラ
の全地をめぐるもので、

その地の金は良く、またそこはブドラクと、
しまめのうとを産した。

第二の川の名はギホンといい、クシの全地を
めぐるもの。

第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの
東を流れるもの。第四の川はユフラテである。

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなた
は園のどの木からでも心のままに取って食べて
よろしい。

しかし善悪を知る木からは取って食べてはなら
ない。それを取って食べると、きっと死ぬで
あろう」。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいる
のは良くない。彼のために、ふさわしい助け手
を造ろう」。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべて
の鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人が
すべて生き物に与える名は、その名となるので
あった。

それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野の
すべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい
助け手が見つからなかった。

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、
そのあばら骨の一つを取って、その所を肉で
ふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女
を造り、人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。「これこそ、ついに
わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取った
ものだから、これを女と名づけよう」。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、
一体となるのである。

人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ず
かしいとは思わなかった。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:19| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

「出現」【ギュスターヴ・モロー】1876年

The_Apparition.jpg
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衝撃的な宗教画ですね!これはイエスから
「最も偉大な人物」と称された洗礼者ヨハネ
の最期を独自の解釈で描いた作品です。聖書
では、少女へ踊りの褒美として、はねられた
首が盆にのせて運ばれて来たといいます。

預言者や神に仕える正しい人が殺されてしま
うことは聖書でよくある話!ですが、褒美と
しての殺害は異例です。この衝撃の展開は多
くの芸術家を魅了し、絵画や文学で描かれて
来ました。

フランス象徴主義の画家・モローの作品には、
切られたヨハネの首が宙に現れ出る!という
驚愕の光景に対して、少女が真っすぐに対峙
しています。ヨハネと少女は一体何を考えて
いるのでしょうか。……観る者の想像をかき
たてる面白さがあります。また、聖書の記述
から自由になり、大胆な解釈で描かれた近代
的な作品とも言えます。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 6章14〜29節

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王
の耳にはいった。ある人々は「バプテスマの
ヨハネが、死人の中からよみがえってきたの
だ。それで、あのような力が彼のうちに働い
ているのだ」と言い、

他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他
の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と
言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたし
が首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」
と言った。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデ
ヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、
ヨハネを捕えて獄につないだ。

それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめ
とるのは、よろしくない」と言ったからであ
る。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そ
うと思っていたが、できないでいた。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人
であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を
加え、またその教を聞いて非常に悩みながら
も、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の
誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立
った人たちを招いて宴会を催したが、

そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞
をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ば
せた。そこで王はこの少女に「ほしいものは
なんでも言いなさい。あなたにあげるから」
と言い、

さらに「ほしければ、この国の半分でもあげ
よう」と誓って言った。

そこで少女は座をはずして、母に「何をお願
いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテ
スマのヨハネの首を」と答えた。

するとすぐ、少女は急いで王のところに行っ
て願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネ
の首を盆にのせて、それをいただきとうござ
います」。

王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、
また列座の人たちの手前、少女の願いを退け
ることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネ
の首を持って来るように命じた。衛兵は出て
行き、獄中でヨハネの首を切り、

盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそ
れを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死
体を引き取りにきて、墓に納めた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:31| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

「洗礼者ヨハネ」【レオナルド・ダ・ヴィンチ】1516年

Saint_John_the_Baptist.jpg
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大胆不敵なこの絵は、誰もが知る天才画家、
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「洗礼者
ヨハネ」です!。最晩年の作品で、一説に
はレオナルド・ダ・ヴィンチの若かりし頃の
姿を描いているとも言われています。

洗礼者ヨハネは、イエスより半年早く生まれ、
人々に悔い改めと救い主の到来を告げた預言
者です。絵画ではラクダの毛衣を身にまとい、
十字架の付いた杖を持つ姿で描かれています。
何やら挑発的な?指先は神の在処を指している
そうです。(ここでは天でしょうか?

イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネは、その後、
悲劇に見舞われます。次回、絵画で紹介したい
と思います。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 1章2節〜11節

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使
をあなたの先につかわし、あなたの道を整え
させるであろう。

荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を
備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と
書いてあるように、

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の
ゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣
べ伝えていた。

そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民
とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、
自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから
バプテスマを受けた。

このヨハネは、らくだの毛ごろもを身に
まとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜と
を食物としていた。

彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力の
あるかたが、あとからおいでになる。わたし
はかがんで、そのくつのひもを解く値うちも
ない。

わたしは水でバプテスマを授けたが、この
かたは、聖霊によってバプテスマをお授け
になるであろう」。

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから
出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプ
テスマをお受けになった。

そして、水の中から上がられるとすぐ、天
が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って
来るのを、ごらんになった。

すると天から声があった、「あなたはわたし
の愛する子、わたしの心にかなう者である」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 08:08| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

「悔悛するマグダラのマリア」【ドメニコ・ティントレット】1602年

Penitent_Magdalene.jpg
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この艶めかしい女性を描いた絵も、実は宗教画
なんです!彼女はイエスに7つの悪霊を追い出
され(ルカ8:2)、改心したマグダラのマリア
です。その後、イエスの弟子となり、イエスが
十字架につけられた時も、墓に収められた時も、
側を離れることはありませんでした。

イエスの母マリアが気高く神々しい姿で描かれ
るのに対し、元・悪女?なマグダラのマリアは
人間的な魅力に溢れています。罪赦され、神と
共に生きる喜び、生を肯定する意志さえ感じさ
せます。

マグダラのマリアの側にドクロがありますが、
イエスが十字架につけられた場所は「ゴルゴタ
の丘」と呼ばれており、ゴルゴタは「ドクロ」
の意味です。イエスを最後まで見届けたマグダ
ラのマリアを示すシンボルとして一緒に描かれ
ることが多いです。

……もしもイエスが磔にされたのがゴルゴタの
丘ではなく、例えば「ミカンの花咲く」丘なら、
もっと可愛らしいシンボルだったかもしれませ
んね!(信徒S)

※ドメニコ・ティントレット(1560-1635)
ルネサンス期・イタリアで活躍した画家。父
ティントレットは巨匠と呼ばれています。

(参考)
ヨハネによる福音書・第20章1〜18節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、
マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとり
のけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛して
おられた、もうひとりの弟子のところへ行って、
彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去り
ました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓
へむかって行った。

ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの
弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着
き、

そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置い
てあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。
彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばには
なくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはい
ってきて、これを見て信じた。

しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえ
るべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなか
った。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って
行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そ
して泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のお
かれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは
足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いてい
るのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だ
れかが、わたしの主を取り去りました。そして、
どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエス
が立っておられるのを見た。しかし、それがイエ
スであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いている
のか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その
人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、
あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、
どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかた
を引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤ
はふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラ
ボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわっては
いけない。わたしは、まだ父のみもとに上ってい
ないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行
って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの
父であって、わたしの神またあなたがたの神であ
られるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝
えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、
自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれの
ことを自分に仰せになったことを、報告した。

〜コメント〜
聖書には多くのマリアが登場しますが、一途に
主イエスを愛した彼女もまた、聖女なのです。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:12| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

「受胎告知」【エル・グレコ】1603年

El_GRECO.jpg
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実にマンガチック?な画風ですね!スペインを代表
する画家、エル・グレコの作品は、手足や人物が引
き伸ばされたり、独自の色使いで現実よりも印象を
重視した表現が見られます。

天使ガブリエルが処女マリアに神の御子を身籠った
ことを告げる有名な場面です。天使が手に持ってい
る百合は純潔を表しており、中央の鳩は、天からの
聖霊のようです。

有名な西洋絵画の多くは海外にありますが、これは
何と岡山県の大原美術館に展示されているようです!
一度行って見たいですね。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書1章26節〜38節

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされ
て、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人の
いいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女
よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい
さつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あな
たは神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。
その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえ
られるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデ
の王座をお与えになり、

彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限
りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな
事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありま
せんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと
高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、
生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえ
られるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿してい
ます。不妊の女といわれていたのに、はや六か月に
なっています。

神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしため
です。お言葉どおりこの身に成りますように」。
そして御使は彼女から離れて行った。

〜コメント〜
運命を受け入れ、神に従って生きること(信仰)を
告白したマリアに、敬虔さを見ることが出来ます。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 11:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

「キリストの変容」【ラファエロ・サンティ】1520年

Transfiguration_Raphael.jpg
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ルネサンスの三大巨匠の一人、ラファエロの作品。
人々の衣装がとてもカラフルで、楽しいですね!

山上で姿が白く変わったイエスと、その両脇には
イスラエルの歴史上の偉人であるモーセとエリアが
現れている聖書の場面です。右下の方には霊にとり
つかれた少年の姿も見えます。

ルネサンスの人間の自由な精神や宗教改革により、
ヨーロッパの近代が始まったとされています。絵
画でも、イエスだけでなく一人一人が個性的に描
かれています。(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書9章28節〜43節

これらのことを話された後、八日ほどたってから、
イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈る
ために山に登られた。

祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣が
まばゆいほどに白く輝いた。

すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。
それはモーセとエリヤであったが、

栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げよう
とする最後のことについて話していたのである。

ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、
目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立って
いるふたりの人とを見た。

このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、
ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、
イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいる
のは、すばらしいことです。それで、わたしたちは
小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、
一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

彼がこう言っている間に、雲がわき起って彼らを
おおいはじめた。そしてその雲に囲まれたとき、
彼らは恐れた。

すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、
わたしの選んだ者である。これに聞け」。

そして声が止んだとき、イエスがひとりだけに
なっておられた。弟子たちは沈黙を守って、自分
たちが見たことについては、そのころだれにも話
さなかった。

翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆が
イエスを出迎えた。

すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、
「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやって
ください。この子はわたしのひとりむすこですが、

霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。
それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、
彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。

それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださる
ように願いましたが、できませんでした」。

イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰
な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなた
がたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢が
できようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。

ところが、その子がイエスのところに来る時にも、
悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスは
この汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、
父親にお渡しになった。

人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:13| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする