2018年08月20日

なぜ悪があるのか?聖書に問う

キリスト教では、人が悪を犯すのは、食べてはいけないと神
から言われた木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまった
から、と説明します。(創世記第3章)ですが、そんな危険
な木を置かず、また悪意ある蛇をエデンの園に置かなければ
良かったのではないでしょうか。

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これに対する答えに、人はロボットのように決められたこと
しか出来ない存在ではなく、自由意志という選択の自由が与
えられ、自ら考えたり、決めたり、愛する能力があったのに、
自分の意志で(食べないことも十分出来たのに)食べる方を
選んでしまい、神との約束(禁止事項)を破ったから、悪が
すべての人に入り込む原因(原罪)になったとされています。
……美味しい物に目がくらんで、よせばいいのについ手を出
してしまいカロリーオーバー!……そんな傾向を持つように
なったのも、原罪のせいかもしれませんね。

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以上がキリスト教のオーソドックスな回答です。「だから良
い子のみなさんは約束を守りましょうね」「はーい」と素直
に返事が出来ればいいのですが、「……どうもすっきりしな
い、何かモヤモヤする……」という私のような迷える子羊?
の方は、以下を参考までお読み下さい。

「なぜ、善悪を知る木の実や悪へと誘う蛇がエデンの園に置
かれていたのか?」あれこれ調べたり、考えたりしたのです
が、ふと、あることに気付きました。それはズバリ、『聖書
にその理由は書かれていない』という事実です。書かれて
いない以上、「分からない」のです。では、なぜ書かれてい
ないのでしょう?……多分、人間には到底理解出来ないから
だと思います。

例えば、パソコンやインターネットをヘビやカエル向けに開
発したとします。「便利だから使ってみて!」と与えても、
おそらく使いこなすことも、理解することも出来ないでしょ
う。それは彼らの能力を遥かに超えた代物だからです。この
ように、悪についても人知を遥かに超えており、聖書に書き
たくても書けなかったのかもしれません。さらに言えば、
「なぜ悪があるのか」という問いの答えは、すべて人の憶測
や推測の域を出ないのではないでしょうか。(これもまた、
憶測なのですが。

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他にも、大きな自然災害が起きた際、そのメカニズムについ
て、現代では科学的に説明出来るかもしれません。ですが、
なぜある人が災害に遭わなければならなかったのか、その答
えの本当のところは『誰にも分からない』のではないでしょ
うか。【人には分からない=神のみぞ知る】そのように人は
限界ある存在として創られた被造物であると、聖書は記して
います。人は神に似せて創られましたが、神ではないのです。
(創世記第1章27節)生きる中で分からないことや、理解
を超えたことを体験することがあるのです。

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聖書の中には戦争や災害、貧困、差別、病気、人間の弱さや
欲望や不正など、多くの悪が描かれています。その一方で、
人はどう生きれば良いのか、この世に光はあるのか、傷付き
さまよい歩く人々を光に導くにはどうすれば良いのか等々、
悪から救われる道も示されています。このように聖書は自然
科学の教科書や悪の解説書ではなく、人が悪から救われる為
にはどうすれば良いかを扱った信仰(神への信頼)の書なの
です。(信徒S)

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わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14:6)
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:09| 右斜め上なぜ悪があるのか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする