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新島 襄・新島(山本)八重 縁の会津若松教会 & キリスト教
*正しく表示されない時は「再読み込み」を行って下さい*
2019年04月27日

(クリックすると写真が大きくなります)
マタイによる福音書・10章16節
わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、はとのように
素直であれ。
〜コメント〜
この世には様々な悪があります。例えば
オレオレ詐欺のように人の優しさにつけ
こみ、お金を騙し取ったり、社会経験の
少ない若者に儲け話をして、高額な商品
を借金をさせて購入させるなど、相手を
信じこませて利用しようとする悪です。

聖書の創世記では、アダムとイブは悪意
を持ったヘビに騙されて、エデンの園を
追放されてしまいます。私たちも何が
「悪」であるのか、ヘビのように十分に
知った上で、ハトのように「善」に対し
て素直に行動する必要があるのではない
でしょうか。

(信徒S)
posted by 信徒S at 21:57|
みことばのフォト
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2019年04月21日
イースターおめでとうございます


会津若松教会ではイースター礼拝後に永眠者を
覚えて、献花を行いました。

(祭壇へ献花の様子です)
礼拝ではハンドベルによる演奏も行われ、復活
をベル高らかに?祝いました。


祝会の食事です。恒例の卵を使ったご馳走が並
びました

沢山の人と久しぶりに賑やかな食卓
を囲むことが出来て感謝です。

(信徒S)
posted by 信徒S at 10:30|
教会行事
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2019年04月19日
学生時代のこと、珍しく先輩にお茶に誘われて
行ってみると、何と宗教の勧誘でした……
当時はまだ健全な無神論者?だった私は、ある
質問を先輩にしました。
「神や仏がいるなら、なぜ広島、長崎の原爆を
許したのか、なぜアウシュビッツの虐殺を止め
なかったのか。この世には神も仏もいないので
は?」
それについて、先輩からはっきりとした答えは
なく、二度とお茶に誘われることもありません
でした……(それから数年後、クリスチャンに
なった私にその時の質問がブーメランのように
戻って来るとは思いもしませんでしたが。

)
この世に人を愛する神がいるのなら、なぜ不幸
や不条理が見られるのか。聖書には様々な理由
やエピソードが記されていますが、万人が納得
するような答えはないように思います。

聖書では、起こってしまった不幸や不条理から、
人はどう救われるのか、どんな償いがされるの
か、トラブルの解明よりも、回復を強調してい
るように見受けられます。
無神論者であった当時、個人的に思ったのは、
例えば戦火の中で生まれる命や、重い病気を持
って生まれる命、多くの人の願いや信仰者の祈
りにも関らず、失われる命があり、これが現実
だという感覚です。
一方で、そうした不条理の一生を終えた後に、
来世のような場所があり、償いを受けることが
なければ、あまりにも不公平ではないか?逆に、
悪に加担してこの世の春を謳歌した人は、死後
そのことを猛烈に悔いて、償うのでなければ、
死んで行った人々が浮かばれないのではないか、
……そんな気持ちも持っていました。

キリスト教は、愛と赦しの宗教ですが、一方で
神はすべてを見ており、この世の悪をそのまま
にせず、最終的には神が人に代わってこの世の
悪を裁く*(解決する)という一面も持っていま
す。放蕩の限りを尽くして、行き詰まっている
ように見える現代社会でも、神に信頼して歩む
人生と、全く意識せずに歩む人生では、未来は
違って来るように思うのです。

(信徒S)
〜参考〜
*キリスト教で有名な「毒麦の譬え」は、
衝撃的な譬え話ですが、一人一人の心の
中で起こる悪い思いは、最終的には取り
除かれ、良い性質だけが残ると読み解く
ことも出来るようです。

マタイによる福音書13章25〜30節
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に
毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦も
あらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、
『ご主人様、畑におまきになったのは、
良い種ではありませんでしたか。どうして
毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。
すると僕たちが言った『では行って、それを
抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようと
して、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。
収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を
集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入
れてくれ、と言いつけよう』」。
posted by 信徒S at 23:36|
信徒のブログ(笑い!?)
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2019年04月13日

(クリックすると写真が大きくなります)
コリント人への第二の手紙8章11〜12節
だから今、それをやりとげなさい。
あなたがたが心から願っているように、
持っているところに応じて、
それをやりとげなさい。
もし心から願ってそうするなら、
持たないところによらず、
持っているところによって、
神に受けいれられるのである。
〜コメント〜
新しい年度のスタートを、上手くすごせず
に悩んでいる人もいるかもしれません。

あまり背伸びをせずに、今の自分に出来る
範囲内で、コツコツやって行きましょう

(信徒S)
posted by 信徒S at 23:12|
みことばのフォト
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