2018年01月28日

「日々の悩みの中に」

「日々の悩みの中に」
マタイによる福音書8章14〜17節
八重樫 芙美惠 教師

※説教要旨をブログ用に変換して紹介しています。
(信徒S)

『それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、
そのしゅうとめが熱病で、床についているのを
ごらんになった。そこで、その手にさわられると、
熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもて
なした。夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を
大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉
をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおい
やしになった。これは、預言者イザヤによって
「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたし
たちの病を負うた」と言われた言葉が成就するため
である。』(マタイ8:14-17)

与えられた聖書箇所を通して、日常の悩み多い家庭
の隅々にまで主は来られるということを、聖書を通
して説き明かしたいと思います。本日の箇所は山上
の説教後の主イエスの第三の癒しにあたります。第
一は重い皮膚病の人の癒し、第二は百人隊長の僕の
癒し、第三の癒しはペテロの姑、つまりペテロの妻
の母の出来事にあたります。

ペテロは主イエスの弟子になった時に既に結婚して
おり、妻も伝道に参加しておりました。(Tコリン
ト9:5)現代の私たちには理解しにくい事ですが、
女性は成人男性に比べ、人数に数えられないなどの
扱いを受けておりました。ですから、この第三の母
への癒しは小さな出来事に見えて、実は特別な意味
が込められています。主イエスが母に手を触れられ
ると熱は去ります。(15節)「家庭の主」である
イエス様が入って来られ、様々抱えている問題を共
に担われ、共に心配して解決へと導かれ、癒された
のです。

私の人生をふり返ってみますと、東日本大震災の後
には母との同居があり、震災のショックから生きる
希望を失くした母と、神学校の学びを中断せざるを
得なくなった私とが、共に途方に暮れ、母娘共に光
が見出せない中に立たされていました。

その時に慰めと励ましになったのは、同じ神学校に
通っていた若い友の訪問や、当時、目白の神学校で
学んでいた主人が車で2時間かけて駆けつけ、車椅
子の母をいろいろなところへ連れ出してくれた姿で
した。母も徐々に元気を取り戻し、私たちは改めて
「家庭の主」の光を感じました。「私たちの患いを
負い、私たちの病を担った」主イエスの姿をみたの
です。

私たちが、現実の苦悩の中に踏みとどまって、
主イエスを待つことが出来ますように、
祈りの力をお与え下さい。


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ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 10:30| 説教要旨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする