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「フランダースの犬」はイギリスの作家ウィーダが
書いた児童文学ですが、世界名作劇場でアニメ化さ
れ、悲しいラストが有名になりましたね。(個人的
には、主人公ネロの継ぎ当てズボンに泣けます

さて、そんな悲劇の主人公ネロが最後に見たかった
絵画がピーテル・パウル・ルーベンスが描いた、
「キリストの降架」です。赤い服を着た人物は最も
イエスが愛した弟子ヨハネ、その周りにイエスを愛
した複数のマリアがいます。
十字架上で息絶えて降ろされる悲しい場面ですが、
画家を目指していたネロは、きっとこの絵画を美術
的観点から見て、その完成度の高さに深く満足した
のではないでしょうか。美術だけでなく、映画など
幅広いジャンルで意外にキリスト教のテーマや思想
を見ることが出来ます。

(参考)
ヨハネによる福音書19章25〜40節
さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、
母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラの
マリヤとが、たたずんでいた。
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っている
のをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、
ごらんなさい。これはあなたの子です」。
それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。
これはあなたの母です」。そのとき以来、
この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。
そののち、イエスは今や万事が終ったことを
知って、「わたしは、かわく」と言われた。
それは、聖書が全うされるためであった。
そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器
がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を
含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、
イエスの口もとにさし出した。
すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、
「すべてが終った」と言われ、首をたれて息を
ひきとられた。
さてユダヤ人たちは、その日が準備の日で
あったので、安息日に死体を十字架の上に残し
ておくまいと、(特にその安息日は大事な日で
あったから)、ピラトに願って、足を折った上
で、死体を取りおろすことにした。
そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架に
つけられた初めの者と、もうひとりの者との足
を折った。
しかし、彼らがイエスのところにきた時、
イエスはもう死んでおられたのを見て、その足
を折ることはしなかった。
しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突き
さすと、すぐ血と水とが流れ出た。
それを見た者があかしをした。そして、その
あかしは真実である。その人は、自分が真実を
語っていることを知っている。それは、あなた
がたも信ずるようになるためである。
これらのことが起ったのは、「その骨はくだ
かれないであろう」との聖書の言葉が、成就
するためである。
また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺
し通した者を見るであろう」とある。
そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかに
イエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという
人が、イエスの死体を取りおろしたいと、
ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、
彼はイエスの死体を取りおろしに行った。
また、前に、夜、イエスのみもとに行った
ニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤
ほど持ってきた。
彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人
の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布
で巻いた。
ラベル:会津若松教会
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