2019年12月03日

NEW天国で最も小さい者も、彼よりは大きい

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マタイによる福音書11章7〜15節

彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネの
ことを群衆に語りはじめられた、
「あなたがたは、何を見に荒野に出てきた
のか。風に揺らぐ葦であるか。

では、何を見に出てきたのか。柔らかい
着物をまとった人か。柔らかい着物を
まとった人々なら、王の家にいる。

では、なんのために出てきたのか。預言者
を見るためか。そうだ、あなたがたに言う
が、預言者以上の者である。

『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、
あなたの前に、道を整えさせるであろう』
と書いてあるのは、この人のことである。

あなたがたによく言っておく。女の産んだ
者の中で、バプテスマのヨハネより大きい
人物は起らなかった。しかし、天国で最も
小さい者も、彼よりは大きい。

バプテスマのヨハネの時から今に至る
まで、天国は激しく襲われている。そして
激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。

すべての預言者と律法とが預言したのは、
ヨハネの時までである。

そして、もしあなたがたが受けいれること
を望めば、この人こそは、きたるべきエリヤ
なのである。

耳のある者は聞くがよい。

〜コメント〜
この世的に優れた人でも、天国ではまだ
まだ上には上がいるようです(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年11月03日

順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ

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コヘレトの言葉7章14節

順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。
神は人に将来どういう事があるかを、
知らせないために、彼とこれとを等しく
造られたのである。

〜コメント〜
上手くいかない時には、立ち止まって
考えることを、聖書は教えています
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年10月15日

あなたのみ言葉はわが足のともしび

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詩篇・第119篇105〜112節

あなたのみ言葉はわが足のともしび、
わが道の光です。

わたしはあなたの正しいおきてを守ることを誓い、
かつこれを実行しました。

わたしはいたく苦しみました。
主よ、み言葉に従って、わたしを生かしてください。

主よ、わがさんびの供え物をうけて、
あなたのおきてを教えてください。

わたしのいのちは常に危険にさらされています。
しかし、わたしはあなたのおきてを忘れません。

悪しき者はわたしのためにわなを設けました。
しかし、わたしはあなたのさとしから迷い出ません。

あなたのあかしはとこしえにわが嗣業です。
まことに、そのあかしはわが心の喜びです。

わたしはあなたの定めを終りまで、
とこしえに守ろうと心を傾けます。

〜コメント〜
ヘブル語のアルファベット、22文字
を頭文字とする単語から始まる22の
詩の1つ。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年10月07日

見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ

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わたしたちは、
見えるものにではなく、
見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのである。

コリント人への第二の手紙・4章18節

〜コメント〜
今、見えているものがすべてではなく、
むしろ見えていない世界の方に、真実
があると、聖書は教えています。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年09月20日

もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう

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ルカによる福音書19章28〜40節

イエスはこれらのことを言ったのち、
先頭に立ち、エルサレムへ上って行かれた。

そしてオリブという山に沿ったベテパゲと
ベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子を
つかわして言われた、

「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、
まだだれも乗ったことのないろばの子が
つないであるのを見るであろう。それを解いて、
引いてきなさい。

もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、
『主がお入り用なのです』と、そう言いなさい」。

そこで、つかわされた者たちが行って見ると、
果して、言われたとおりであった。

彼らが、そのろばの子を解いていると、
その持ち主たちが、「なぜろばの子を解くのか」
と言ったので、

「主がお入り用なのです」と答えた。

そしてそれをイエスのところに引いてきて、
その子ろばの上に自分たちの上着をかけて
イエスをお乗せした。

そして進んで行かれると、人々は自分たちの
上着を道に敷いた。

いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、
大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見た
すべての力あるみわざについて、声高らかに
神をさんびして言いはじめた、

「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。
天には平和、いと高きところには栄光あれ」。

ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人
たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子
たちをおしかり下さい」。

答えて言われた、「あなたがたに言うが、
もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。

〜コメント〜
イエスがロバに乗り、エルサレムへ入城
する有名な場面です。時には「石が叫ぶ」
ように、正しい声を上げることが、求め
られているのではないでしょうか。
(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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2019年08月24日

試錬を受けて苦しまれたからこそ

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主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、
試錬の中にある者たちを助けることができる
のである。
〜ヘブル人への手紙2章18節〜

〜解説〜
イエスは旧約聖書に示された預言*の通り、
十字架に架かるという試練を受けて苦し
みましたが、人間を超越した神ではなく、
自らも人の苦しみや悲しみ、痛みを理解
し、それを共に担うことで、人を救いに
導く道を開いたと、聖書は教えています。

私達も試練や困難を通して、さまざまな
問題に気付き、同じような悩みの中にあ
る人の心を理解し、共に生きて行くこと
が出来るのではないでしょうか。
(信徒S)

<参考>
*イザヤ書53章

だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。

彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、
威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。

彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者の
ように、彼は侮られた。
われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、
苦しめられたのだと。

しかし彼はわれわれのとがの
ために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。

われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。

彼はしえたげられ、
苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている
羊のように、口を開かなかった。

彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、
だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。

彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。

しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

彼は自分の魂の苦しみにより光を
見て満足する。義なるわがしもべは
その知識によって、多くの人を義とし、
また彼らの不義を負う。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者と
共に物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂を
そそぎだし、とがある者と共に
数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。
ラベル:会津若松教会
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2019年08月12日

できる限りすべての人と平和に過ごしなさい

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ローマ人への手紙12章18〜21節

あなたがたは、できる限りすべての人と
平和に過ごしなさい。

愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのすること
である。わたし自身が報復する」と書いて
あるからである。

むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、
彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。
そうすることによって、あなたは彼の頭に
燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

悪に負けてはいけない。かえって、
善をもって悪に勝ちなさい。

〜コメント〜
キリスト教は愛や平和を説きますが、
それは「できる限り」であって、
「必ず」ではない点に特徴があると
思います。「復讐を神に任せよ」
と説くパウロの言葉は、旧約聖書の
土台の上に建つキリスト教の性質を
よく示していると思うのです。
(信徒S)
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2019年06月01日

人は外の顔かたちを見、主は心を見る

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サムエル記上16章6〜13節

彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、
「自分の前にいるこの人こそ、主が油を
そそがれる人だ」と思った。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたち
や身のたけを見てはならない。わたしはすで
にその人を捨てた。わたしが見るところは人
とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心
を見る」。

そこでエッサイはアビナダブを呼んで
サムエルの前を通らせた。サムエルは言った、
「主が選ばれたのはこの人でもない」。

エッサイはシャンマを通らせたが、
サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの
人でもない」。

エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせ
たが、サムエルはエッサイに言った、「主が
選ばれたのはこの人たちではない」。

サムエルはエッサイに言った、「あなたの
むすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、
「まだ末の子が残っていますが羊を飼って
います」。サムエルはエッサイに言った、
「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここ
に来るまで、われわれは食卓につきません」。

そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色の
よい、目のきれいな、姿の美しい人であった。
主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。
これがその人である」。

サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの
中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、
主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。
そしてサムエルは立ってラマへ行った。

〜コメント〜
預言者サムエルが神に命じられて、新しい
イスラエルの王(メシア)を見つける箇所
です。…人の目に見えない心を神は見て
いるのです。(信徒S)
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2019年05月18日

人をさばくな。自分がさばかれないためである

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マタイによる福音書・7章1〜4節

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

あなたがたがさばくそのさばきで、
自分もさばかれ、あなたがたの量るその
はかりで、自分にも量り与えられるであろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に
むかって、あなたの目からちりを取らせて
ください、と言えようか。

〜コメント〜
有名な聖書の箇所ですね。赦す者は赦され、
愛する者は愛されると、イエスは弟子に度々
教えています。(信徒S)

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2019年04月27日

へびのように賢く、はとのように素直であれ

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マタイによる福音書・10章16節

わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、はとのように
素直であれ。

〜コメント〜
この世には様々な悪があります。例えば
オレオレ詐欺のように人の優しさにつけ
こみ、お金を騙し取ったり、社会経験の
少ない若者に儲け話をして、高額な商品
を借金をさせて購入させるなど、相手を
信じこませて利用しようとする悪です。

聖書の創世記では、アダムとイブは悪意
を持ったヘビに騙されて、エデンの園を
追放されてしまいます。私たちも何が
「悪」であるのか、ヘビのように十分に
知った上で、ハトのように「善」に対し
て素直に行動する必要があるのではない
でしょうか。(信徒S)
ラベル:会津若松教会
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