2020年07月04日

「ヨブ記(挿絵)」【ウィリアム・ブレイク】1825年

Job_Rebuked_by_His_Friends_Butts_set.jpg
(クリックすると画像が大きくなります)

ヨブ記の挿絵「友人3人に叱責されるヨブ」
の場面です。

正しい人・ヨブが不幸に陥り、3人の友人が
慰めに来るのですが、ヨブがこのような不幸
に襲われたのは、何か大きな罪を犯したから
だと、ヨブを責めます。

身に覚えのないヨブは友にも理解されず、苦
しみはなお深まります。それでもなお自分と
神の間に立って救う者(キリスト)が現れる
とする箇所(19章25節)が、ヨブ記の中で
最も重要と、内村鑑三は「ヨブ記講演」で述
べています。


〜参考〜
ヨブ記・第19章1〜29節

そこでヨブは答えて言った、

「あなたがたはいつまでわたしを悩まし、
言葉をもってわたしを打ち砕くのか。

あなたがたはすでに十度もわたしをはずかしめ、
わたしを悪くあしらってもなお恥じないのか。

たといわたしが、まことにあやまったとしても、
そのあやまちは、わたし自身にとどまる。

もしあなたがたが、
まことにわたしに向かって高ぶり、
わたしの恥を論じるならば、

『神がわたしをしえたげ、
その網でわたしを囲まれたのだ』と知るべきだ。

見よ、わたしが『暴虐』と叫んでも答えられず、
助けを呼び求めても、さばきはない。

彼はわたしの道にかきをめぐらして、
越えることのできないようにし、
わたしの行く道に暗やみを置かれた。

彼はわたしの栄えをわたしからはぎ取り、
わたしのこうべから冠を奪い、

四方からわたしを取りこわして、うせさせ、
わたしの望みを木のように抜き去り、

わたしに向かって怒りを燃やし、
わたしを敵のひとりのように思われた。

その軍勢がいっせいに来て、
塁を築いて攻め寄せ、
わたしの天幕のまわりに陣を張った。

彼はわたしの兄弟たちを
わたしから遠く離れさせられた。
わたしを知る人々は全くわたしに疎遠になった。

わたしの親類および親しい友はわたしを見捨て、

わたしの家に宿る者はわたしを忘れ、
わたしのはしためらはわたしを他人のように思い、
わたしは彼らの目に他国人となった。

わたしがしもべを呼んでも、彼は答えず、
わたしは口をもって彼に請わなければならない。

わたしの息はわが妻にいとわれ、
わたしは同じ腹の子たちにきらわれる。

わらべたちさえもわたしを侮り、
わたしが起き上がれば、わたしをあざける。

親しい人々は皆わたしをいみきらい、
わたしの愛した人々はわたしにそむいた。

わたしの骨は皮と肉につき、
わたしはわずかに歯の皮をもってのがれた。

わが友よ、わたしをあわれめ、わたしをあわれめ、
神のみ手がわたしを打ったからである。

あなたがたは、なにゆえ神のようにわたしを責め、
わたしの肉をもって満足しないのか。

どうか、わたしの言葉が、書きとめられるように。
どうか、わたしの言葉が、書物にしるされるように。

鉄の筆と鉛とをもって、
ながく岩に刻みつけられるように。

わたしは知る、
わたしをあがなう者は生きておられる、
後の日に彼は必ず地の上に立たれる。

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、
わたしは肉を離れて神を見るであろう。

しかもわたしの味方として見るであろう。
わたしの見る者はこれ以外のものではない。
わたしの心はこれを望んでこがれる。

あなたがたがもし『われわれはどうして
彼を責めようか』と言い、
また『事の根源は彼のうちに見いだされる』
と言うならば、

つるぎを恐れよ、
怒りはつるぎの罰をきたらすからだ。
これによって、あなたがたは、
さばきのあることを知るであろう」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:51| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月12日

「太陽の中に立つ天使」【ウィリアム・ターナー】1846年

William_Turner-_The_Angel,_Standing_in_the_Sun.jpg
(クリックすると画像が大きくなります)

ウィリアム・ターナー(1775−1851)はイギリス
を代表する風景画家です。晩年になると、輪郭が
曖昧になり、光や大気をより幻想的に描くように
なります。当時はこうした抽象的な表現の理解者
は少なかったと言われています。

太陽の中に立つ天使(*1)はミカエルで、宗教画
ではよく剣を持って戦う姿で描かれます。その
左下には殺されたアベルの姿(*2)が、右下には
ホロフェルネス将軍の首を切り落とした女傑、
ユディトの姿(*3)が描かれているそうです。

……本来、聖書の別々の箇所ですが、どういう
意図で1枚の画に描いたのかを考えるのも楽し
いですよ。(信徒S)

(*1)黙示録19章
(*2)創世記4章
(*3)ユディト記13章(旧約外典)


(参考)
ヨハネの黙示録19章17〜18節

また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に
立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべて
の鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、
神の大宴会に集まってこい。

そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、
馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、
すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と
大いなる者との肉をくらえ」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:30| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月20日

「受 難」【アルフォンス・ミュシャ】1904年

美しくデザインされた女性のイラストで有名な、
アルフォンス・ミュシャが描く、受難のイエス
です。ミュシャは、舞台のポスターや本の挿絵、
商品の広告など、デザイナーとして多くの作品
を残しています。

La-Passion-Mucha.jpg
「受 難」1904年
(クリックすると画像が大きくなります)

アール・ヌーヴォー(植物などの曲線的デザイン)
の巨匠と呼ばれるだけあって、文字や曲線の配置、
落ち着いた色使いなど、すべてが優雅に調和して
います。曲線が多いせいか、柔らかな優しい気分
になりますね!

Alfons_mucha_obraz_1.jpg
「夢想 」1897年

そんなミュシャですが、美術だけでなく、音楽と
教会をこよなく愛したことでも有名です。今年は
2月26日(水)から4月11日(土)までがレント(受難節)
ですが、「受難」にちなんだ音楽や映画に触れる
のも良いかもしれませんね。

〜参考〜
マタイによる福音書27節11〜31節

さて、イエスは総督の前に立たれた。すると
総督はイエスに尋ねて言った、「あなたが
ユダヤ人の王であるか」。イエスは「その
とおりである」と言われた。

しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、
イエスはひと言もお答えにならなかった。

するとピラトは言った、「あんなにまで
次々に、あなたに不利な証言を立てている
のが、あなたには聞えないのか」。

しかし、総督が非常に不思議に思ったほど
に、イエスは何を言われても、ひと言も
お答えにならなかった。

さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い
出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例に
なっていた。

ときに、バラバという評判の囚人がいた。

それで、彼らが集まったとき、ピラトは
言った、「おまえたちは、だれをゆるして
ほしいのか。バラバか、それとも、キリスト
といわれるイエスか」。

彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみの
ためであることが、ピラトにはよくわかって
いたからである。

また、ピラトが裁判の席についていたとき、
その妻が人を彼のもとにつかわして、
「あの義人には関係しないでください。
わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん
苦しみましたから」と言わせた。

しかし、祭司長、長老たちは、バラバを
ゆるして、イエスを殺してもらうようにと、
群衆を説き伏せた。

総督は彼らにむかって言った、「ふたりの
うち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼ら
は「バラバの方を」と言った。

ピラトは言った、「それではキリストといわれる
イエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせい
に「十字架につけよ」と言った。

しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、
どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう
激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。

ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動に
なりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手
を洗って言った、「この人の血について、
わたしには責任がない。おまえたちが自分で
始末をするがよい」。

すると、民衆全体が答えて言った、「その血の
責任は、われわれとわれわれの子孫の上に
かかってもよい」。

そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、
イエスをむち打ったのち、十字架につけるため
に引きわたした。

それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れ
て行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。

そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、

また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、
右の手には葦の棒を持たせ、それからその前に
ひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」
と言った。

また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取り
あげてその頭をたたいた。

こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套を
はぎ取って元の上着を着せ、それから十字架に
つけるために引き出した。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:27| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

「ゴルゴタ」【エドヴァルド・ムンク】1900年

Edvard_Munch_-_Golgotha.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

「ムンクの叫び」で有名なノルウェー出身の
画家ムンクですが、次々と身内を亡くすなど、
内面の不安や死への意識が、彼独自の作風を
生み出したとも言えます。

厳しく敬虔な父親の元で育ったムンクが描いた
宗教画は、この「ゴルゴタ」だけのようです。
「叫び」が余りにも強烈ですが、「星月夜」
など自然を描いた作品にも、彼の繊細な内面が
よく現れている様に思います。

Edvard_Munch_-_Starry_Night.jpg
「星月夜」1922年

ゴルゴタは「頭蓋骨」の意味で、丘の形が頭蓋骨
に似ていたことから、地名に名付けられたと言わ
れます。……イエスがゴルゴタで血を流すことで、
キリスト教は今日まで続くのです。(信徒S)

〜参考〜
マルコによる福音書15章16〜32節

兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸
の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた。

そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を
編んでかぶらせ、

「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼を
しはじめた。

また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、
ひざまずいて拝んだりした。

こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣を
はぎとり、元の上着を着せた。それから、彼ら
はイエスを十字架につけるために引き出した。

そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモン
というクレネ人が、郊外からきて通りかかった
ので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。

そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、
されこうべ、という所に連れて行った。

そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒を
さし出したが、お受けにならなかった。

それから、イエスを十字架につけた。そして
くじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、
イエスの着物を分けた。

イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろで
あった。

イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、
しるしてあった。

また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを
右に、ひとりを左に、十字架につけた。

〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」
と書いてある言葉が成就したのである。〕

そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、
イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打
ちこわして三日のうちに建てる者よ、

十字架からおりてきて自分を救え」。

祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒
になって、かわるがわる嘲弄して言った、
「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。

イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりて
みるがよい。それを見たら信じよう」。また、
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスを
ののしった。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:03| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月18日

〜まるで反抗期のマリア?〜「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」【ロセッティ】1850年

Dante_Gabriel_Rossetti_-_Ecce_Ancilla_Domini!_-_Google_Art_Project.jpg
(クリックすると画像が大きくなります)

何だかマリアが神経質な少女のようで、他の
受胎告知の絵画とは、受ける印象が随分違い
ますね。……もしも今の時代に突然、天使
が現れて身に覚えのない妊娠を告げたなら、
きっと不安や戸惑いから、怪訝そうな目を向
けるのではないでしょうか。

それを「神の思し召し」と受け入れたマリア
は、二千年前とはいえ、やはりただ者ではな
かったと思います。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが21、22
歳頃に描いた作品ですが、その才能には驚か
されますね
(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書1章46〜55節【マリヤの賛歌】

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救主なる神をたたえます。

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女
と言うでしょう、

力あるかたが、わたしに大きな事をして
くださったからです。そのみ名はきよく、

そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、

わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:02| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

猛勉強中?いいえ、福音書記者マタイです【9世紀】

Saint_Matthew.jpg
(ランス派写本の1つ《Ebbo Gospels》に
 描かれた、福音書記者マタイの挿絵)

どこかコミカルな感じのイラストは、820‐830年
頃、フランスのランス地方で修道士によって書き
写され、装飾が施された聖書の挿絵です。福音書
記者マタイが神の言葉をせっせと書いている様子
は、勉強に追われる学生みたいですね

福音書記者は他にマルコ、ルカ、ヨハネがいます
が、1200年前の絵に親しみを覚えるのは不思議で
すね。(信徒S)

〜参考〜
マタイによる福音書6章19節〜21節

あなたがたは自分のために、虫が食い、
さびがつき、また、盗人らが押し入って
盗み出すような地上に、宝をたくわえて
はならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、さびも
つかず、また、盗人らが押し入って盗み
出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからで
ある。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:27| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

「キリストの降架」【ルーベンス】1614年〜〈フランダースの犬〉でネロが最後に見たかった絵〜

Descent_from_the_Cross_(Rubens).jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

「フランダースの犬」はイギリスの作家ウィーダが
書いた児童文学ですが、世界名作劇場でアニメ化さ
れ、悲しいラストが有名になりましたね。(個人的
には、主人公ネロの継ぎ当てズボンに泣けます
さて、そんな悲劇の主人公ネロが最後に見たかった
絵画がピーテル・パウル・ルーベンスが描いた、
「キリストの降架」です。赤い服を着た人物は最も
イエスが愛した弟子ヨハネ、その周りにイエスを愛
した複数のマリアがいます。

十字架上で息絶えて降ろされる悲しい場面ですが、
画家を目指していたネロは、きっとこの絵画を美術
的観点から見て、その完成度の高さに深く満足した
のではないでしょうか。美術だけでなく、映画など
幅広いジャンルで意外にキリスト教のテーマや思想
を見ることが出来ます。(信徒S)

(参考)
ヨハネによる福音書19章25〜40節

さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、
母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラの
マリヤとが、たたずんでいた。

イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っている
のをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、
ごらんなさい。これはあなたの子です」。

それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。
これはあなたの母です」。そのとき以来、
この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

そののち、イエスは今や万事が終ったことを
知って、「わたしは、かわく」と言われた。
それは、聖書が全うされるためであった。

そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器
がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を
含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、
イエスの口もとにさし出した。

すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、
「すべてが終った」と言われ、首をたれて息を
ひきとられた。

さてユダヤ人たちは、その日が準備の日で
あったので、安息日に死体を十字架の上に残し
ておくまいと、(特にその安息日は大事な日で
あったから)、ピラトに願って、足を折った上
で、死体を取りおろすことにした。

そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架に
つけられた初めの者と、もうひとりの者との足
を折った。

しかし、彼らがイエスのところにきた時、
イエスはもう死んでおられたのを見て、その足
を折ることはしなかった。

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突き
さすと、すぐ血と水とが流れ出た。

それを見た者があかしをした。そして、その
あかしは真実である。その人は、自分が真実を
語っていることを知っている。それは、あなた
がたも信ずるようになるためである。

これらのことが起ったのは、「その骨はくだ
かれないであろう」との聖書の言葉が、成就
するためである。

また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺
し通した者を見るであろう」とある。

そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかに
イエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという
人が、イエスの死体を取りおろしたいと、
ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、
彼はイエスの死体を取りおろしに行った。

また、前に、夜、イエスのみもとに行った
ニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤
ほど持ってきた。

彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人
の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布
で巻いた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:07| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

「聖マタイの召命」【ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ】1600年

The_Calling_of_Saint_Matthew.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

この絵画は、取税人だったマタイに向かって、
弟子となるよう、イエスが声をかけた場面を
描いています。

一番右端の頭上に光の環がある人物がイエス
です。光と闇のコントラストの中で、指指す
ポーズがドラマチックですね!精悍な顔立ち
のイエス、イケメンすぎでしょ

この絵画では、誰がマタイなのか、長い間、
議論されていますが、一番左端でお金を数え
ている青年が取税人・マタイではないかとも
言われています。

……イエスの呼びかけを聞いた瞬間、青年は
雷に打たれた様な衝撃を受け、そのまま立ち
上がると、後ろを振り返ることなく、イエス
の後に従い、風のように去って行く……そん
な場面が妄想?出来ますね!(信徒S)


(参考)
マタイによる福音書・9章9〜13節

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイ
という人が収税所にすわっているのを見て、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。
すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから、イエスが家で食事の席について
おられた時のことである。多くの取税人や
罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共に
その席に着いていた。

パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに
言った、「なぜ、あなたがたの先生は、
取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な
人には医者はいらない。いるのは病人である。

『わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない』とはどういう意味か、
学んできなさい。わたしがきたのは、義人を
招くためではなく、罪人を招くためである」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:28| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

「復活」【マティアス・グリューネヴァルト】1515年

Mathis_Gothart_1.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

やや人間離れした?神々しいまでの復活のイエス
です。まるでトレーディングカードの図柄にも
なりそうな色彩と場面……最強です今でも十分
インパクトを与えるこの絵画が、500年前に描
かれたことにも驚かされます。

元は「イーゼンハイム祭壇画」という11枚の
パネルの1枚で、修道院にある病院内に飾られて
いたようです。他のパネルには磔にされるイエス
が、痛々しい無惨な姿で描かれています。

Mathis_Gothart_2.jpg

当時、病気に悩まされた人々も、十字架上で苦し
みを受けるイエスの姿に、自分自身を重ねて見て
いたのではないでしょうか。それだけに、死を
乗り越えて復活した神の圧倒的なパワーを、画家
は鮮やかに描いたように思うのです。(信徒S)

(参考)
マタイによる福音書・第28章

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、
マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見に
きた。

すると、大きな地震が起った。それは主の使が
天から下って、そこにきて石をわきへころがし、
その上にすわったからである。

その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪の
ように真白であった。

見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震え
あがって、死人のようになった。

この御使は女たちにむかって言った、「恐れる
ことはない。あなたがたが十字架におかかりに
なったイエスを捜していることは、わたしに
わかっているが、

もうここにはおられない。かねて言われたとおり
に、よみがえられたのである。さあ、イエスが納
められていた場所をごらんなさい。

そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさ
い、『イエスは死人の中からよみがえられた。
見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、
これだけ言っておく」。

そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓
を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行
った。

すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」
と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足を
いだいて拝した。

そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れる
ことはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、
そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

女たちが行っている間に、番人のうちのある人々
が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに
話した。

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、
兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、

「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている
間に彼を盗んだ』と言え。

万一このことが総督の耳にはいっても、われわれ
が総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からない
ようにしよう」。

そこで、彼らは金を受け取って、教えられた
とおりにした。そしてこの話は、今日に至るまで
ユダヤ人の間にひろまっている。

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、
イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。

そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者
もいた。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、
天においても地においても、いっさいの権威を授け
られた。

それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を
弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らに
バプテスマを施し、

あなたがたに命じておいたいっさいのことを守る
ように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:05| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

「ヤコブの夢」【ウィリアム・ブレイク】1805年

jacobsladder.jpg
(クリックすると画像が大きくなります。)

とても神秘的な雰囲気の絵画ですね!それも
そのはず、これはヤコブが見た夢の絵だから
です。ヤコブはイサクの子で、アブラハムの
孫にあたります。この一族三代に渡る信仰
からイスラエルの民は唯一の神を何千年にも
渡り、信じる様になるのです。

絵画には、様々な事情から命を狙われ、故郷
を離れて眠るヤコブと、地上と天上を結ぶ
梯子を上り下りする神のみ使いの姿が描かれ
ています。そんな不安の中で「神が共にいる」
という善き知らせを受け取るのです。
(信徒S)

(参考)
創世記28章10〜22節

さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ
向かったが、

一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこ
に一夜を過ごし、その所の石を取ってまくら
とし、そこに伏して寝た。

時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に
立っていて、その頂は天に達し、神の使たち
がそれを上り下りしているのを見た。

そして主は彼のそばに立って言われた、
「わたしはあなたの父アブラハムの神、
イサクの神、主である。あなたが伏している
地を、あなたと子孫とに与えよう。

あなたの子孫は地のちりのように多くなって、
西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなた
と子孫とによって祝福をうけるであろう。

わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ
行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連
れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨
てず、あなたに語った事を行うであろう」。

ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに
主がこの所におられるのに、わたしは知らな
かった」。

そして彼は恐れて言った、「これはなんと
いう恐るべき所だろう。これは神の家である。
これは天の門だ」。

ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた
石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油
を注いで、

その所の名をベテルと名づけた。その町の名
は初めはルズといった。

ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたし
と共にいまし、わたしの行くこの道でわたし
を守り、食べるパンと着る着物を賜い、

安らかに父の家に帰らせてくださるなら、
主をわたしの神といたしましょう。

またわたしが柱に立てたこの石を神の家と
いたしましょう。そしてあなたがくださる
すべての物の十分の一を、わたしは必ず
あなたにささげます」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:29| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする