2019年08月18日

〜まるで反抗期のマリア?〜「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」【ロセッティ】1850年

Dante_Gabriel_Rossetti_-_Ecce_Ancilla_Domini!_-_Google_Art_Project.jpg
(クリックすると画像が大きくなります)

何だかマリアが神経質な少女のようで、他の
受胎告知の絵画とは、受ける印象が随分違い
ますね。……もしも今の時代に突然、天使
が現れて身に覚えのない妊娠を告げたなら、
きっと不安や戸惑いから、怪訝そうな目を向
けるのではないでしょうか。

それを「神の思し召し」と受け入れたマリア
は、二千年前とはいえ、やはりただ者ではな
かったと思います。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが21、22
歳頃に描いた作品ですが、その才能には驚か
されますね
(信徒S)

(参考)
ルカによる福音書1章46〜55節【マリヤの賛歌】

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救主なる神をたたえます。

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女
と言うでしょう、

力あるかたが、わたしに大きな事をして
くださったからです。そのみ名はきよく、

そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、

わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 23:02| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

猛勉強中?いいえ、福音書記者マタイです【9世紀】

Saint_Matthew.jpg
(ランス派写本の1つ《Ebbo Gospels》に
 描かれた、福音書記者マタイの挿絵)

どこかコミカルな感じのイラストは、820‐830年
頃、フランスのランス地方で修道士によって書き
写され、装飾が施された聖書の挿絵です。福音書
記者マタイが神の言葉をせっせと書いている様子
は、勉強に追われる学生みたいですね

福音書記者は他にマルコ、ルカ、ヨハネがいます
が、1200年前の絵に親しみを覚えるのは不思議で
すね。(信徒S)

〜参考〜
マタイによる福音書6章19節〜21節

あなたがたは自分のために、虫が食い、
さびがつき、また、盗人らが押し入って
盗み出すような地上に、宝をたくわえて
はならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、さびも
つかず、また、盗人らが押し入って盗み
出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからで
ある。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:27| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

「キリストの降架」【ルーベンス】1614年〜〈フランダースの犬〉でネロが最後に見たかった絵〜

Descent_from_the_Cross_(Rubens).jpg
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「フランダースの犬」はイギリスの作家ウィーダが
書いた児童文学ですが、世界名作劇場でアニメ化さ
れ、悲しいラストが有名になりましたね。(個人的
には、主人公ネロの継ぎ当てズボンに泣けます
さて、そんな悲劇の主人公ネロが最後に見たかった
絵画がピーテル・パウル・ルーベンスが描いた、
「キリストの降架」です。赤い服を着た人物は最も
イエスが愛した弟子ヨハネ、その周りにイエスを愛
した複数のマリアがいます。

十字架上で息絶えて降ろされる悲しい場面ですが、
画家を目指していたネロは、きっとこの絵画を美術
的観点から見て、その完成度の高さに深く満足した
のではないでしょうか。美術だけでなく、映画など
幅広いジャンルで意外にキリスト教のテーマや思想
を見ることが出来ます。(信徒S)

(参考)
ヨハネによる福音書19章25〜40節

さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、
母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラの
マリヤとが、たたずんでいた。

イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っている
のをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、
ごらんなさい。これはあなたの子です」。

それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。
これはあなたの母です」。そのとき以来、
この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

そののち、イエスは今や万事が終ったことを
知って、「わたしは、かわく」と言われた。
それは、聖書が全うされるためであった。

そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器
がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を
含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、
イエスの口もとにさし出した。

すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、
「すべてが終った」と言われ、首をたれて息を
ひきとられた。

さてユダヤ人たちは、その日が準備の日で
あったので、安息日に死体を十字架の上に残し
ておくまいと、(特にその安息日は大事な日で
あったから)、ピラトに願って、足を折った上
で、死体を取りおろすことにした。

そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架に
つけられた初めの者と、もうひとりの者との足
を折った。

しかし、彼らがイエスのところにきた時、
イエスはもう死んでおられたのを見て、その足
を折ることはしなかった。

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突き
さすと、すぐ血と水とが流れ出た。

それを見た者があかしをした。そして、その
あかしは真実である。その人は、自分が真実を
語っていることを知っている。それは、あなた
がたも信ずるようになるためである。

これらのことが起ったのは、「その骨はくだ
かれないであろう」との聖書の言葉が、成就
するためである。

また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺
し通した者を見るであろう」とある。

そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかに
イエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという
人が、イエスの死体を取りおろしたいと、
ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、
彼はイエスの死体を取りおろしに行った。

また、前に、夜、イエスのみもとに行った
ニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤
ほど持ってきた。

彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人
の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布
で巻いた。
ラベル:会津若松教会
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2019年01月13日

「聖マタイの召命」【ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ】1600年

The_Calling_of_Saint_Matthew.jpg
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この絵画は、取税人だったマタイに向かって、
弟子となるよう、イエスが声をかけた場面を
描いています。

一番右端の頭上に光の環がある人物がイエス
です。光と闇のコントラストの中で、指指す
ポーズがドラマチックですね!精悍な顔立ち
のイエス、イケメンすぎでしょ

この絵画では、誰がマタイなのか、長い間、
議論されていますが、一番左端でお金を数え
ている青年が取税人・マタイではないかとも
言われています。

……イエスの呼びかけを聞いた瞬間、青年は
雷に打たれた様な衝撃を受け、そのまま立ち
上がると、後ろを振り返ることなく、イエス
の後に従い、風のように去って行く……そん
な場面が妄想?出来ますね!(信徒S)


(参考)
マタイによる福音書・9章9〜13節

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイ
という人が収税所にすわっているのを見て、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。
すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから、イエスが家で食事の席について
おられた時のことである。多くの取税人や
罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共に
その席に着いていた。

パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに
言った、「なぜ、あなたがたの先生は、
取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な
人には医者はいらない。いるのは病人である。

『わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない』とはどういう意味か、
学んできなさい。わたしがきたのは、義人を
招くためではなく、罪人を招くためである」。
ラベル:会津若松教会
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2018年11月03日

「復活」【マティアス・グリューネヴァルト】1515年

Mathis_Gothart_1.jpg
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やや人間離れした?神々しいまでの復活のイエス
です。まるでトレーディングカードの図柄にも
なりそうな色彩と場面……最強です今でも十分
インパクトを与えるこの絵画が、500年前に描
かれたことにも驚かされます。

元は「イーゼンハイム祭壇画」という11枚の
パネルの1枚で、修道院にある病院内に飾られて
いたようです。他のパネルには磔にされるイエス
が、痛々しい無惨な姿で描かれています。

Mathis_Gothart_2.jpg

当時、病気に悩まされた人々も、十字架上で苦し
みを受けるイエスの姿に、自分自身を重ねて見て
いたのではないでしょうか。それだけに、死を
乗り越えて復活した神の圧倒的なパワーを、画家
は鮮やかに描いたように思うのです。(信徒S)

(参考)
マタイによる福音書・第28章

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、
マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見に
きた。

すると、大きな地震が起った。それは主の使が
天から下って、そこにきて石をわきへころがし、
その上にすわったからである。

その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪の
ように真白であった。

見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震え
あがって、死人のようになった。

この御使は女たちにむかって言った、「恐れる
ことはない。あなたがたが十字架におかかりに
なったイエスを捜していることは、わたしに
わかっているが、

もうここにはおられない。かねて言われたとおり
に、よみがえられたのである。さあ、イエスが納
められていた場所をごらんなさい。

そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさ
い、『イエスは死人の中からよみがえられた。
見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、
これだけ言っておく」。

そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓
を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行
った。

すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」
と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足を
いだいて拝した。

そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れる
ことはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、
そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

女たちが行っている間に、番人のうちのある人々
が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに
話した。

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、
兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、

「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている
間に彼を盗んだ』と言え。

万一このことが総督の耳にはいっても、われわれ
が総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からない
ようにしよう」。

そこで、彼らは金を受け取って、教えられた
とおりにした。そしてこの話は、今日に至るまで
ユダヤ人の間にひろまっている。

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、
イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。

そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者
もいた。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、
天においても地においても、いっさいの権威を授け
られた。

それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を
弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らに
バプテスマを施し、

あなたがたに命じておいたいっさいのことを守る
ように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 00:05| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

「ヤコブの夢」【ウィリアム・ブレイク】1805年

jacobsladder.jpg
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とても神秘的な雰囲気の絵画ですね!それも
そのはず、これはヤコブが見た夢の絵だから
です。ヤコブはイサクの子で、アブラハムの
孫にあたります。この一族三代に渡る信仰
からイスラエルの民は唯一の神を何千年にも
渡り、信じる様になるのです。

絵画には、様々な事情から命を狙われ、故郷
を離れて眠るヤコブと、地上と天上を結ぶ
梯子を上り下りする神のみ使いの姿が描かれ
ています。そんな不安の中で「神が共にいる」
という善き知らせを受け取るのです。
(信徒S)

(参考)
創世記28章10〜22節

さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ
向かったが、

一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこ
に一夜を過ごし、その所の石を取ってまくら
とし、そこに伏して寝た。

時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に
立っていて、その頂は天に達し、神の使たち
がそれを上り下りしているのを見た。

そして主は彼のそばに立って言われた、
「わたしはあなたの父アブラハムの神、
イサクの神、主である。あなたが伏している
地を、あなたと子孫とに与えよう。

あなたの子孫は地のちりのように多くなって、
西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなた
と子孫とによって祝福をうけるであろう。

わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ
行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連
れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨
てず、あなたに語った事を行うであろう」。

ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに
主がこの所におられるのに、わたしは知らな
かった」。

そして彼は恐れて言った、「これはなんと
いう恐るべき所だろう。これは神の家である。
これは天の門だ」。

ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた
石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油
を注いで、

その所の名をベテルと名づけた。その町の名
は初めはルズといった。

ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたし
と共にいまし、わたしの行くこの道でわたし
を守り、食べるパンと着る着物を賜い、

安らかに父の家に帰らせてくださるなら、
主をわたしの神といたしましょう。

またわたしが柱に立てたこの石を神の家と
いたしましょう。そしてあなたがくださる
すべての物の十分の一を、わたしは必ず
あなたにささげます」。
ラベル:会津若松教会
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2018年06月02日

「晩鐘」【ジャン=フランソワ・ミレー】1859年

bansho.jpg
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有名な絵画なので、誰もが目にしたことがあ
るかと思います。フランスの画家ミレーは、
他にも貧しい農民の姿を描いた「落穂拾い」*
などを残しています。

「晩鐘」は、夕方6時に鳴らされる教会の鐘
の音に合わせて祈りを捧げる、夫婦の敬虔な
姿が印象的です。……ここには貧しい農民の
主食であるジャガイモが描かれており、夫婦
の身なりからも生活は決して楽ではないこと
が見てとれます。

貧しい暮らしの中で祈る姿に、時代や民族を
超えた、何か普遍的な感情を覚えるのは、私
だけではないでしょう。生物の中で人間だけ
が祈りますが、祈りとは、生かされているこ
とへの感謝と願いの現れであり、現実を超え
て明日へと続くものなのです。(信徒S)

(参考)
*「落穂拾い」は次の旧約聖書の教えが、
農民の暮らしの中で、慣習的に行われて
いた光景を描いたとされています。

あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、
その刈入れにあたって、畑のすみずみまで
刈りつくしてはならない。またあなたの
穀物の落ち穂を拾ってはならない。
貧しい者と寄留者のために、それを残して
おかなければならない。わたしはあなた
がたの神、主である。(レビ記23:22)


otibohiroi.jpg
ラベル:会津若松教会
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2017年08月05日

「快楽の園」【ヒエロニムス・ボス】1504年

Le Jardin des délices.png
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ヒエロニムス・ボスの名前は知らなくても、
下の不気味な顔を美術や歴史の教科書で見た
という人は結構いるのではないでしょうか?

Le Jardin des délices2.jpg
(右側:地獄図の中央に描かれています!)

ルネサンス期の奇才ヒエロニムス・ボスは聖書
を題材にしながら、左側のエデンの園(天国)
にはアダムとエバ以外にも、肉食動物が獲物を
捕まえていたり、聖書が示す天国よりも殺伐な
感じを受けます。中央(快楽)は現世でしょう
か?右側(地獄)では不気味な生物がうごめく
怪奇の世界になっています。

教会の権威が強く、宗教裁判も盛んに行われて
いた中世ヨーロッパですが、こうした大胆かつ
緻密な絵画は、当時の人々にも大変人気だった
ようです。

あまりに独自過ぎるため、宗教画としては異端
?かもしれませんが、得体の知れないものを見
たい(怖いもの見たさ)の感覚は、時代を超え
た人間の本性かもしれませんね(信徒S)


(参考)
創世記第2章7節〜25節

主なる神は土のちりで人を造り、命の息を
その鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた
者となった。

主なる神は東のかた、エデンに一つの園を
設けて、その造った人をそこに置かれた。

また主なる神は、見て美しく、食べるに良い
すべての木を土からはえさせ、更に園の中央
に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。

また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、
そこから分れて四つの川となった。

その第一の名はピソンといい、金のあるハビラ
の全地をめぐるもので、

その地の金は良く、またそこはブドラクと、
しまめのうとを産した。

第二の川の名はギホンといい、クシの全地を
めぐるもの。

第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの
東を流れるもの。第四の川はユフラテである。

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなた
は園のどの木からでも心のままに取って食べて
よろしい。

しかし善悪を知る木からは取って食べてはなら
ない。それを取って食べると、きっと死ぬで
あろう」。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいる
のは良くない。彼のために、ふさわしい助け手
を造ろう」。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべて
の鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人が
すべて生き物に与える名は、その名となるので
あった。

それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野の
すべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい
助け手が見つからなかった。

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、
そのあばら骨の一つを取って、その所を肉で
ふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女
を造り、人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。「これこそ、ついに
わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取った
ものだから、これを女と名づけよう」。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、
一体となるのである。

人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ず
かしいとは思わなかった。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 21:19| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

「出現」【ギュスターヴ・モロー】1876年

The_Apparition.jpg
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衝撃的な宗教画ですね!これはイエスから
「最も偉大な人物」と称された洗礼者ヨハネ
の最期を独自の解釈で描いた作品です。聖書
では、少女へ踊りの褒美として、はねられた
首が盆にのせて運ばれて来たといいます。

預言者や神に仕える正しい人が殺されてしま
うことは聖書でよくある話!ですが、褒美と
しての殺害は異例です。この衝撃の展開は多
くの芸術家を魅了し、絵画や文学で描かれて
来ました。

フランス象徴主義の画家・モローの作品には、
切られたヨハネの首が宙に現れ出る!という
驚愕の光景に対して、少女が真っすぐに対峙
しています。ヨハネと少女は一体何を考えて
いるのでしょうか。……観る者の想像をかき
たてる面白さがあります。また、聖書の記述
から自由になり、大胆な解釈で描かれた近代
的な作品とも言えます。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 6章14〜29節

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王
の耳にはいった。ある人々は「バプテスマの
ヨハネが、死人の中からよみがえってきたの
だ。それで、あのような力が彼のうちに働い
ているのだ」と言い、

他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他
の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と
言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたし
が首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」
と言った。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデ
ヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、
ヨハネを捕えて獄につないだ。

それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめ
とるのは、よろしくない」と言ったからであ
る。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そ
うと思っていたが、できないでいた。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人
であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を
加え、またその教を聞いて非常に悩みながら
も、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の
誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立
った人たちを招いて宴会を催したが、

そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞
をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ば
せた。そこで王はこの少女に「ほしいものは
なんでも言いなさい。あなたにあげるから」
と言い、

さらに「ほしければ、この国の半分でもあげ
よう」と誓って言った。

そこで少女は座をはずして、母に「何をお願
いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテ
スマのヨハネの首を」と答えた。

するとすぐ、少女は急いで王のところに行っ
て願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネ
の首を盆にのせて、それをいただきとうござ
います」。

王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、
また列座の人たちの手前、少女の願いを退け
ることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネ
の首を持って来るように命じた。衛兵は出て
行き、獄中でヨハネの首を切り、

盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそ
れを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死
体を引き取りにきて、墓に納めた。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 22:31| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

「洗礼者ヨハネ」【レオナルド・ダ・ヴィンチ】1516年

Saint_John_the_Baptist.jpg
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大胆不敵なこの絵は、誰もが知る天才画家、
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「洗礼者
ヨハネ」です!。最晩年の作品で、一説に
はレオナルド・ダ・ヴィンチの若かりし頃の
姿を描いているとも言われています。

洗礼者ヨハネは、イエスより半年早く生まれ、
人々に悔い改めと救い主の到来を告げた預言
者です。絵画ではラクダの毛衣を身にまとい、
十字架の付いた杖を持つ姿で描かれています。
何やら挑発的な?指先は神の在処を指している
そうです。(ここでは天でしょうか?

イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネは、その後、
悲劇に見舞われます。次回、絵画で紹介したい
と思います。(信徒S)

(参考)
マルコによる福音書 1章2節〜11節

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使
をあなたの先につかわし、あなたの道を整え
させるであろう。

荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を
備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と
書いてあるように、

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の
ゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣
べ伝えていた。

そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民
とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、
自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから
バプテスマを受けた。

このヨハネは、らくだの毛ごろもを身に
まとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜と
を食物としていた。

彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力の
あるかたが、あとからおいでになる。わたし
はかがんで、そのくつのひもを解く値うちも
ない。

わたしは水でバプテスマを授けたが、この
かたは、聖霊によってバプテスマをお授け
になるであろう」。

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから
出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプ
テスマをお受けになった。

そして、水の中から上がられるとすぐ、天
が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って
来るのを、ごらんになった。

すると天から声があった、「あなたはわたし
の愛する子、わたしの心にかなう者である」。
ラベル:会津若松教会
posted by 信徒S at 08:08| 楽しいキリスト教絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする